アメリカ海軍海洋哺乳類計画
概要
アメリカ海軍がイルカやアシカを訓練し、機雷の探知や港の警備、機材の回収に使う計画。1960年に研究が始まった。
場所
34.09°N -119.06°E · アメリカ合衆国・カリフォルニア州ベンチュラ郡
本文
アメリカ海軍海洋哺乳類計画は、イルカやアシカの能力を軍事に役立てるために、アメリカ海軍が1960年に始めた研究と訓練の計画である。いまもカリフォルニア州サンディエゴを拠点に、機雷の探知や港の警備、海に沈んだ機材の回収に動物たちを使っている。
始まりは、魚雷の性能を上げるための研究だった。1960年、海軍はカマイルカを1頭手に入れ、イルカが水の抵抗を減らす特別な仕組みを持っているのではないかと調べた。当時の技術では、イルカの体にとりたてて変わった仕組みは見つからなかった。しかし調べるうちに、イルカの知能の高さ、深く潜る力、訓練のしやすさが注目されるようになった。
1962年、カリフォルニア州のポイント・マグーに研究施設が建てられた。マグー潟と海の間の砂州に作られたこの施設で、イルカが音の反響で周りを知る力(エコーロケーション)や、深く潜っても体を傷めない仕組みが調べられ、水中の物を探して目印をつけるような仕事をイルカやアシカにさせられないかが試された。大きな成果は、訓練したイルカやアシカを、綱でつながずに外海へ放しても、ちゃんと戻ってきて仕事をすると分かったことだった。
1965年には、タフィーという名のイルカが、ラホヤ沖の海底実験居住施設シーラブIIの計画に加わった。海面と水深60メートルほどの居住施設の間を、道具や手紙を運んで行き来した。迷ったダイバーを見つけて安全な所へ導く訓練も受けている。
1967年、計画は秘密扱いとなり、施設と人員はサンディエゴのポイント・ロマへ移された。ハワイのカネオヘ湾にも研究所が置かれたが、1993年に閉じられ、動物の多くはサンディエゴへ移った。計画が秘密を解かれたのは1990年代の初めで、それまでの間、何をしているのか分からないことが、さまざまな憶測を呼んだ。
動物たちは仕事ごとに班に分けられている。イルカの班は、海中に浮かぶ機雷や海底に埋もれた機雷を探し、見つけるとブイを放って場所を知らせる。人間の潜水夫が近寄ると、背後から近づいて目印のついた器具を当て、見張りの兵に知らせる班もある。アシカは暗い水中でもよく見える目と鋭い耳を生かし、訓練で撃ち出された機材や模擬の機雷を探して、引き上げるための器具を取りつける。1970年11月には、アシカが水深50メートルほどから対潜ロケットを回収してみせた。
実際の戦場にも送られた。港を守る班はベトナム戦争の時期に初めて実地に配置され、1986年から1988年にはイラン・イラク戦争でペルシア湾が危うくなる中、バーレーンでも任務に就いた。2003年のイラク戦争では、機雷を探すイルカがペルシア湾に送られ、ウンム・カスル港で100を超える機雷や水中の仕掛けを見つける助けになったと海軍は発表している。1990年代の終わりには、およそ140頭の海洋哺乳類が計画に属していた。

イルカに爆弾を運ばせて敵の船に仕掛けさせる、武器を持たせて人を襲わせる、といった話は、計画が秘密だったころから繰り返し語られてきた。これに対して海軍は、イルカは敵と味方の船や人を見分けられないので攻撃に使えば見境がなくなるとして、人や船を攻撃する訓練はしたことがないと説明している。2005年のハリケーン・カトリーナの際に、武装したイルカが逃げ出したという報道が流れたときも、海軍はすべてのイルカの所在を確かめたと否定した。
動物を軍に使うこと自体への反対も根強い。訓練の重圧、使わないときの囲いの中の暮らし、遠い海への輸送の負担、機雷の近くで働かせる危険などが批判されてきた。海軍は、餌などのごほうびで教える方法だけを使い、外部の審査も受けていると説明している。物語「冷戦」のさなかに生まれたこの計画は、人間の機械がまだ動物の感覚に追いつけない分野があることと、その動物を戦いに使ってよいのかという問いを、いまも同時に示している。