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Event / できごと

エリス島の移民検査場

The Ellis Island immigration station
AD1892年1月1日
重要度 4
カナダアメリカ合衆国グリーンランドメキシコスペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国ホンジュラスグアテマラAD1892年1月1日エリス島
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1892年1月1日の版図を描いています(8勢力)

概要

連邦政府が移民の審査を州から引き取り、ニューヨーク湾の島に施設を置いた。六十二年間で約1,200万人が通った。一等と二等の船客は船上で済ませ、三等船客だけが上陸させられる。医師が階段を上る様子を見て、息切れや跛行を探した。目を金具でめくって、失明に至るトラコーマを見る。問診が二十九問。返されたのは全体の約2%だが、その多くが病と、公費に頼るおそれである。今日そこは、移民の記念館になっている。

場所

エリス島
40.70°N -74.04°E · アメリカ・ニューヨーク州/ニュージャージー州

本文

**それまで**。

(——**移民の審査は、**州が、やっていた**。

〈**——**ニューヨーク州の**キャッスル・ガーデン**(1855年から1890年)。

**——**マンハッタンの南端の、**旧い砦を改装した施設**。

**約800万人**が、通った**。〉

**——**そして、**1875年と1882年の最高裁の判決**で、**移民の規制は、連邦の権限**とされた**。

**〈——州が、**移民に、税をかけていた**。**

**——それが、**州際通商条項に反する**、とされた。〉**

**そして、**1891年、**移民局**(連邦)が、設置された**。〉)

**島**。

(**1892年1月1日、開設**。

〈**——**最初に通った移民**——**アニー・ムーア**(アイルランド、**15歳**)。

**〈——弟二人と、一緒だった。**

**——十ドルの金貨を、記念に、与えられた。**

**そして、彼女は、ニューヨークで結婚し、十一人の子を産み、1924年、五十歳で死んだ。**

**——長く、**「西部へ行った」という誤った伝承**が、広まっていた。**

**——2006年、系譜研究者が、**実際の生涯を、突き止めた**。〉〉**

**1897年、**火災で、木造の建物が、焼けた**。

**——**そして、**移民の記録も、大量に、焼けた**。

**1900年、**煉瓦と石で、建て直された**。〉)

**手順**。

(**(1)**船が、着く**。

〈**——**そして、**一等と二等の船客**は、**船の上で、簡単な検査を受けて、**そのまま、上陸する**。

**——**「金を払える者は、**公費の負担になるまい**」**という理屈である**。

**——**三等船客**(steerage)**だけが、**艀で、島へ、運ばれる**。

**〈——つまり、**この施設は、**貧しい者のためのものである**。〉**〉

**(2)**大広間**(Registry Room)へ、上がる**。

〈**——**階段を、上がらせる**。

**——**そして、**その上に、**医師が、立っている**。

**〈「六秒の診察」(six-second physical)。**

**——息切れ。**

**——足を引きずる。**

**——顔色。**

**——そして、**荷物の持ち方**。〉**

**——**気になった者の服に、**チョークで、記号を書く**。

**〈**L**——跛行(lameness)。**

****H**——心臓(heart)。**

****X**——精神の問題の疑い。**

****E**——目。**

**——そして、その者は、**別室へ、回される**。〉**〉

**(3)**目の検査**。

〈**——**ボタンフック**(当時、靴のボタンを留める金具)**で、**瞼を、めくる**。

**——**トラコーマ**を、探す**。

**〈——クラミジアによる、**慢性の結膜炎**。**

**——放置すると、**瞼が内側に巻き込み、睫毛が角膜を削り、失明する**。**

**そして、**極めて、伝染しやすい**。〉**

**——**これが、**最も、恐れられた検査である**。

**〈——器具を、**消毒せずに、次の人に、使った**、という記録がある。**

**——つまり、**検査そのものが、感染を広げた**可能性がある。〉**

**——**トラコーマは、**強制送還の、最大の医学的理由**の一つだった**。〉

**(4)**問診**。

〈**——**二十九問**(後に、増えた)。

**——**名前、年齢、職業、行き先、金をいくら持っているか、誰が呼んだか、**

**そして——**「あなたは、無政府主義者ですか」**。

**「あなたは、一夫多妻主義者ですか」**。

**「あなたは、仕事の契約を、既に結んでいますか」**。

**〈——最後の問いは、**罠**である。**

**——「はい」と答えると、**契約労働者法違反**で、拒否される。**

**——「仕事が決まっている」ことが、**駄目**なのである。**

**〈1885年のフォラン法。**

**——安い労働力の輸入を、防ぐため。〉〉**

**——**答えは、**乗船前に、船会社が作った名簿と、照合される**。〉)

**数**。

(**——**1892年から1954年**の、**六十二年**。

**約1,200万人**。

〈**——**最も多かった年**——**1907年、約100万人**。

**——**一日の最高**——**1907年4月17日、11,747人**。〉

**——**そして、**拒否されたのは、**全体の約2%**である**。

〈**——**約25万人**。

**理由**。

**〈(a)**病気**(トラコーマ、結核、寄生虫、精神疾患)。**

**(b)**「公費の負担になるおそれ」**(likely to become a public charge)。**

**——最も多い理由である。**

**〈——金を持っていない。**

**——身寄りが無い。**

**——働けそうにない。**

**——そして、**判断は、審査官の裁量**である。〉**

**(c)そして、**契約労働者、無政府主義者、そして重婚者**。〉**

**——**「涙の島」**(Island of Tears)と、呼ばれた**。

〈**——**家族が、**引き裂かれた**。

**——**子どもだけが、病気で、返される**。

**——**そして、**親のどちらかが、付き添って、戻る**。〉

**——**ただし**。

〈**——**98%は、**通った**。

**——**そして、**平均で、**三時間から五時間**で、**手続きが終わった**、とされる**。

**——**「多くの人にとって、**恐ろしくはあったが、**通れる場所だった」**、というのが、現在の理解である**。〉)

**終わり**。

(——**1924年、**移民法**(ジョンソン=リード法)。

〈**——**出身国別の割当**を、導入した**。

**——**そして、**その基準を、**1890年の国勢調査**に置いた**。

**〈——なぜ、1890年か。**

**——それ以降に来た、**南欧と東欧からの移民**を、減らすためである。**

**——イタリア人、ポーランド人、そしてユダヤ人。**

**そして、**アジアからの移民は、事実上、全面禁止**。〉**

**——**明白に、**人種と民族に基づく、選別である**。〉

**——**そして、**審査が、**出発地の、アメリカ領事館**で、行われるようになった**。

〈**——**査証**である**。

**——**エリス島は、**必要が、無くなった**。〉

**1954年11月12日、閉鎖**。

〈**——**最後に、そこを出たのは、**ノルウェーの船員、アルネ・ペテルセン**である、とされる**。〉

**そして、**1990年、**移民博物館**として、開いた**。

〈**——**現在、**アメリカ人の、約4割**が、**エリス島を通った人の子孫である**、と推定されている**。〉)

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