概要
1703年、大坂の曾根崎の森で、醤油屋の手代の徳兵衛と遊女のお初が心中した。そのわずか一か月後、近松門左衛門はこれを人形浄瑠璃に仕立て、竹本座で上演する。それまでの浄瑠璃は、昔の武将や神仏の物語だった。町の人々が、自分たちと同じ町人の、つい先日の出来事を舞台に見たのである。芝居は大当たりし、借金に苦しんでいた竹本座を立て直したと伝えられる。心中を扱う芝居はその後つぎつぎに作られ、心中が流行したとして、幕府は1723年にこれを禁じた。
場所
大坂
34.69°N 135.53°E · 日本・大阪府
34.69°N 135.53°E · 日本・大阪府
関わった人(1)
近松門左衛門AD1653年–AD1725年1月6日 · 作者本文
1703年、大坂の曾根崎村の露天神の森で、若い男女の心中があった。男は醤油屋の手代の徳兵衛、女は堂島新地の天満屋の遊女お初である。徳兵衛は、主人の姪との縁談を断り、友人に貸した金をだまし取られて、追い詰められていた。
近松門左衛門は、この事件を一か月ほどで浄瑠璃に書き上げ、竹本義太夫の語りで、道頓堀の竹本座にかけた。それまでの浄瑠璃は、源平の武将や神仏の由来を語る「時代物」が中心だった。『曾根崎心中』は、町人の、つい先日の事件を扱う「世話物」の最初の作とされる。客は、自分たちと同じ町の暮らしと、金と義理に縛られる二人の姿を、人形の舞台に見た。
芝居は大当たりし、竹本座の借金を返したと伝えられる。近松はその後も『冥途の飛脚』『心中天網島』などの世話物を書き、ほかの作者も心中を扱う作を次々に出した。心中は芝居の中で美しく描かれ、実際の心中も相次いだ。1723年、幕府は心中を扱う芝居と読み物を禁じ、心中して生き残った者をさらし者にする罰を定めた。「心中」という言葉さえ嫌われ、「相対死」と言い換えさせている。
『曾根崎心中』はその後、長く上演されなかった。再び舞台にかけられたのは1953年、歌舞伎で、お初を演じた中村扇雀の人気とともに、戦後の観客に迎えられた。