エデッサ伯領の陥落
概要
十字軍が最初に建てた国が、ザンギーに奪われた。イスラーム側にとっては反撃の始まりで、ヨーロッパ側にとっては第2回十字軍を呼ぶ知らせになる。
場所
37.16°N 38.80°E · トルコ・シャンルウルファ
本文
エデッサ(いまのトルコ南東部のシャンルウルファ)は、ユーフラテス川の東に広がる平原の古い町だった。キリスト教を早くから受け入れた土地の一つで、11世紀の終わりには、アルメニア人やシリア正教会の信徒が多く住み、アルメニア人の領主が治めていた。
1098年、第1回十字軍の本隊がアンティオキアを包囲していたころ、諸侯の一人ブーローニュのボードゥアンは、本隊を離れて東へ向かった。エデッサの領主トロスは、周りのトルコ系の勢力から町を守るため、このフランク人の騎士を養子に迎えた。まもなくトロスは住民の暴動で殺され、ボードゥアンが町の支配者になる。こうして、十字軍がこの地域に建てた最初の国、エデッサ伯領が生まれた。ボードゥアンはのちにエルサレム王になり、伯領は親族の手に引き継がれた(エルサレム王国)。

十字軍の国々の中で、エデッサ伯領は最も東の、最も危うい位置にあった。ユーフラテス川の向こうに突き出し、周りを、北イラクのモスルやシリアのアレッポを根拠とするイスラームの勢力に囲まれている。住民の大半は地元のキリスト教徒で、フランク人の騎士はわずかしかいなかった。
12世紀の前半、イスラームの側は、トルコ系の小さな君主たちが互いに争い、十字軍に対してまとまることができなかった。その中から現れたのが、ザンギーだった。セルジューク朝の軍人の子で、1127年にモスルの支配を任され、翌年にはアレッポも手に入れた。荒々しく、容赦のない武人で、その矛先は十字軍だけでなく、同じムスリムのダマスクスの君主にも向けられた。
1144年の秋、エデッサ伯ジョスラン2世は、兵の多くを連れてユーフラテスの西へ出ていた。ザンギーはこの隙をついた。11月の終わり、軍はエデッサを囲んだ。城壁の下にトンネルを掘り、支えの木の柱に火をつけて、城壁を崩す。町を守ったのは、大司教ユーグと、アルメニア人やシリア正教会の住民たちだった。救援は間に合わなかった。
1144年のクリスマス・イヴ、崩れた城壁から、ザンギーの兵がなだれ込んだ。逃げようとした住民が城門に殺到し、大勢が踏みつぶされて死んだ。大司教も殺された。フランク人は捕らえられて殺され、女性や子どもは売られた。数日後、城砦も降伏した。ザンギーは、地元のキリスト教徒の住民については殺戮をやめさせ、町を元どおりに住まわせようとしたと、シリア正教会の側の年代記も記している。
イスラームの側にとって、これは反撃が可能だと示した最初の大きな勝利だった。半世紀前にやって来たフランク人の国の一つを、初めて丸ごと取り戻したのである。アッバース朝のカリフはザンギーに栄誉ある称号を贈り、詩人や歴史家たちは彼を信仰の戦士として讃えた。
ザンギーは2年後の1146年、別の城を包囲している最中に、寝所で自分の奴隷に殺された。跡を継いだ子のヌールッディーンは、父とは違って敬虔で質素な人物として知られ、十字軍に対する聖戦を、イスラーム世界を一つにまとめる旗印として掲げた。同じ年、ジョスラン2世はエデッサを一時取り戻したが、ヌールッディーンの軍がすぐに奪い返し、このとき町のキリスト教徒の住民は、厳しい報復を受けた。ヌールッディーンの家臣の中から、やがてサラディンが現れる。エデッサの陥落から始まった流れは、43年後のサラディンのエルサレム奪還へと続いていく。
ヨーロッパでは、この知らせが大きな衝撃を与えた。1145年の暮れ、教皇エウゲニウス3世は新たな十字軍を呼びかけ、修道院長ベルナルドゥスがフランスやドイツを回って熱烈に説いた。フランス王ルイ7世と、ドイツ王コンラート3世が、自ら軍を率いて東へ向かう。王妃エレノア・オブ・アキテーヌも夫に同行した。第2回十字軍である。
だが、二人の王の軍はアナトリアを渡るあいだにトルコ軍の攻撃で大きな損害を受けた。1148年、エルサレムに集まった王たちと現地の諸侯は、失われたエデッサを取り戻しに行くのではなく、ダマスクスを攻めると決めた。ダマスクスは、ザンギーの家の拡大を恐れて、それまでエルサレム王国と手を結ぶこともあった町だった。7月、十字軍は町を包囲したが、水の無い場所に陣を移すという失策もあって、わずか4日ほどで包囲を解いて引き揚げた。
この遠征は、何も得なかった。それどころか、ダマスクスの人びとを敵に回し、のちにヌールッディーンがダマスクスを手に入れる道を開いてしまった。ダマスクスの年代記作者イブン・アル=カラーニシーは、その混乱を間近で冷静に記録している。エデッサ伯領の残りの土地も、数年のうちにすべて失われた。
マアルーフの『アラブが見た十字軍』(物語「『アラブが見た十字軍』で読む十字軍」)は、エデッサの陥落を、フランク人に押されるばかりだったアラブの側が初めて反撃に転じる転機として描いた。マアッラの虐殺から半世紀、流れはここで向きを変え始める。