概要
1428年、飢饉と疫病が続き、将軍が代わった年の秋、近江の運送業者たちが、借金の帳消しを求めて立ち上がった。一揆は京都の周りの村々に広がり、農民たちは酒屋や土倉などの金貸しを襲って、借金の証文を破り捨てた。幕府が徳政を認めなくても、自分たちの手で借金を消したのである。ある寺の記録は、この国が始まって以来、民が蜂起したのはこれが初めてだ、と書き残した。支配される側が、力を合わせて要求を通す時代が始まっていた。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
借金の帳消し。
1428年。
(1)飢饉と疫病が続いた。
(2)そして、将軍が代わった年の秋。
(3)さらに、近江の運送業者たちが、借金の帳消しを求めて立ち上がった。
破られる証文。
一揆は、京都の周りの村々に広がった。
(1)農民たちは、酒屋や土倉などの金貸しを襲った。
(2)そして、借金の証文を破り捨てた。
(3)さらに、幕府が認めなくても、自分たちの手で借金を消した。
初めての蜂起。
ある寺の記録。
この国が始まって以来、民が蜂起したのはこれが初めてだ。
残ること。
支配される側が、力を合わせて要求を通す時代が始まっていた。
永仁の徳政令の徳政は幕府が上から出した。正長の徳政は、下から取った。