スコットランドのゴルフ禁止令
概要
スコットランド王ジェームズ2世の議会が、弓の稽古の妨げになるとしてフットボールとゴルフを禁じた法。ゴルフという語が記録に現れる最初とされる。
場所
57.00°N -4.00°E · イギリス・スコットランド
本文
1457年3月6日、スコットランド王ジェームズ2世のもとで開かれた議会は、男たちに年4回集まって弓の稽古をすることを命じ、その妨げになる遊びとして、フットボールとゴルフを全く禁じる、という法を定めた。違反した者は領主の法廷で罰せられ、そうでなければ王の役人に捕らえられる、とされた。ゴルフという言葉が記録に現れるのは、この法が最初とされている。
15世紀のスコットランドは、南のイングランドと争いを繰り返していた。14世紀には独立をめぐる戦争があり、バノックバーンの戦いでイングランド軍を破ったこともあったが、その後も国境では衝突が絶えなかった。この時代の戦場で力を持ったのが弓兵である。イングランドは長弓の兵を大量にそろえ、百年戦争ではフランスの騎士たちを打ち破っていた。弓は長い稽古を積まなければ使いこなせない。1415年のアザンクールの戦いでも、勝敗を決めたのはイングランドの長弓兵だった。王にとって、男たちが休日に弓を引くかどうかは国の守りに関わる問題だった。

そこで定められたのが、ウォーペンショーと呼ばれる武器と稽古の点検の集まりである。法は年に4回これを開くよう命じ、教区の教会の近くに的を設けて稽古させ、来ない者には罰金を科した。そして、人々が弓の代わりに夢中になっていた遊びを名指しで禁じた。法の文面では、フットボールとゴルフは全く禁じられ、行ってはならない、とされている。
フットボールはすでに1424年、ジェームズ1世のもとで禁じられていた。1457年の法はそれにゴルフを加えた。当時のゴルフがどんな遊びだったかは詳しく分かっていないが、棒で球を打って遠くの目標まで運ぶ遊びは、ヨーロッパの各地にあった。ゴルフという語は、オランダの似た球技コルフから来たとする説が有力である。
法を定めたジェームズ2世は、火薬の新しい兵器、大砲に強い関心を持っていた王でもあった。1460年、イングランド側が押さえていた国境のロクスバラ城を囲んだとき、そばの大砲が破裂し、その破片を受けて死んでいる。まだ29歳だった。弓の稽古を命じた王が、弓に代わる火器の時代の到来を身をもって示したことになる。
禁止は一度では終わらなかった。1470年にジェームズ3世が、1491年にはジェームズ4世がふたたびフットボールとゴルフを禁じている。何度も禁じなければならなかったことは、それだけ人々がこの遊びをやめなかったことを示している。
やがて禁止は意味を失っていった。1502年、ジェームズ4世はイングランドと恒久平和の条約を結んだ。そして王自身がゴルフに手を出した。1503年から翌年にかけての王室の会計記録には、王が遊ぶためのゴルフの棒と球の代金が記されている。禁じた王が自分で遊んだことになる。もっとも、恒久平和は長く続かず、ジェームズ4世は1513年にイングランドとの戦いで戦死している。
その後もゴルフはスコットランドの人々の間に根を下ろした。東海岸のセント・アンドルーズでは、遅くとも16世紀には海辺の砂丘でゴルフが行われていた。1603年にスコットランド王ジェームズ6世がイングランド王を兼ねると、宮廷とともにゴルフも南へ伝わった。二つの国が一つの王国になるのは、1707年のイングランドとスコットランドの合同である。1744年にはエディンバラ近郊のリースで、13か条からなる成文のルールが作られた。現在まで伝わる最古のゴルフのルールとされる。
1860年、西海岸のプレストウィックで最初の全英オープンが開かれ、ゴルフは近代のスポーツとして形を整えた。スコットランドは今日、ゴルフ発祥の地を名乗っている。弓の稽古のために遊びを禁じた中世の法は、皮肉にも、その遊びがこの国で古くから愛されていたことを示すいちばん古い証拠になった。