できごと

ソークのポリオワクチン

Salk polio vaccine
AD1955年4月12日
重要度 4
ソークのポリオワクチンに関わる図版:Poliodrops
Poliodrops Wikimedia Commons USAID · Public domain

概要

180万人の子供で試験した結果が発表された。「安全で効く」。教会の鐘が鳴った。ソークは特許を取らなかった。「太陽に特許があるか」。アメリカのポリオは年5万人から数百人に。サビンの経口ワクチンが続き、2020年にアフリカから野生株が消えた。

場所

ピッツバーグ
40.44°N -79.99°E · アメリカ・ペンシルベニア州

関わった人(1)

ジョナス・ソークAD1914年10月28日–AD1995年6月23日 · 開発

本文

ポリオ(小児麻痺)は、口から入ったウイルスが腸で増え、まれに神経を冒して手足や呼吸の筋肉を麻痺させる病気である。昔からあったが、20世紀の前半、衛生が良くなったアメリカやヨーロッパで、かえって大きな流行を繰り返すようになった。幼いうちに軽くかかって免疫を得る機会が減ったためと考えられている。夏になると流行し、親たちは子をプールや映画館に行かせなかった。1916年のニューヨークの流行では2000人を超える人が死んだ。1952年にはアメリカ全土で5万8000人近くが発症し、3000人あまりが死に、2万人あまりに麻痺が残った。呼吸の筋肉が麻痺した患者は、「鉄の肺」と呼ばれる大きな筒型の人工呼吸器の中で暮らした。

ポリオと戦う運動の顔になったのは、フランクリン・ルーズベルトだった。39歳でポリオにかかったとされ、脚が不自由になった彼は、大統領になると財団を作り、国民に10セント玉の寄付を呼びかけた。「10セントの行進」と呼ばれるこの募金が、研究を支える大きな資金になった。1949年には、ハーバード大学のジョン・エンダースらが、試験管の中の細胞でポリオのウイルスを育てる方法を見つけ、ワクチンを作る道が開けた。

ポリオウイルス
ポリオウイルスWikimedia Commons Photo Credit: Content Providers(s): CDC/ Dr. Fred Murphy, Sylvia Whitfield · Public domain

ピッツバーグ大学のジョナス・ソークは、ウイルスをホルマリンで殺し、それを注射して免疫をつける方法を選んだ。殺したウイルスなら、病気を起こす心配が無い。これに対して、同じくワクチンを研究していたアルバート・セービンは、弱めた生きたウイルスを口から飲ませるほうが、長く強い免疫がつくと主張し、二人は激しく対立した。ソークは1952年に施設の子どもたちで試し、1953年には自分と妻と三人の息子にも注射した。

1954年、史上最大の臨床試験が行われた。180万人ほどの子どもが参加し、「ポリオの開拓者」と呼ばれた。そのうち数十万人は、本物のワクチンか見かけの同じ偽の液を、誰にもどちらか分からないようにして注射された。結果の解析は、ミシガン大学のトマス・フランシスが率いる組が担った。

1963年のこのポスターは公衆衛生の国際的象徴とされている。マスコットの名は"ウェルビー" 経口生ポリオワクチンの接種キャンペーンの公共のマスコットである。
1963年のこのポスターは公衆衛生の国際的象徴とされている。マスコットの名は"ウェルビー" 経口生ポリオワクチンの接種キャンペーンの公共のマスコットである。Wikimedia Commons Photo Credit: Content Providers(s): CDC/ Mary Hilpertshauser · Public domain

1955年4月12日、ルーズベルトの死からちょうど10年の日、ミシガン大学の講堂で、フランシスが結果を発表した。ワクチンは安全で、効果がある。記者たちは電話に走り、全国で教会の鐘が鳴らされ、工場のサイレンが響いた。その日のうちに国はワクチンの使用を認めた。テレビの司会者エドワード・R・マローに、特許は誰が持つのかと聞かれ、ソークは、人々だろう、特許は無い、太陽に特許を取れるだろうか、と答えた。この言葉は、科学を人々のものとする姿勢の象徴として語り継がれている。もっとも、法律の面から見ても特許を取るのは難しかった、という指摘もある。

喜びの直後に事故が起きた。カッター社が作ったワクチンの一部で、ウイルスが十分に殺されていなかった。それを打った子やその家族の間で、およそ4万人がポリオにかかり、200人近くに麻痺が残り、10人が死んだ。接種は一時止められ、国は製造と検査の基準を厳しくした。この事件は、ワクチンの安全を国が監督する仕組みを作るきっかけになった。

アルバート・サビン (右) とロバート・ギャロ, およそ1985年
アルバート・サビン (右) とロバート・ギャロ, およそ1985年Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

接種が広まると、アメリカのポリオは急速に減った。1960年代に入ると、セービンの飲むワクチンが使われ始める。安く、注射が要らず、角砂糖にしみ込ませて飲ませることもできた。日本では1960年に大流行が起き、母親たちの運動を受けて、翌1961年、政府はソ連とカナダから飲むワクチンを緊急に輸入し、子どもたちに一斉に飲ませた。流行はたちまち収まった。

1988年、世界保健機関などはポリオの根絶に乗り出した。当時は125の国で、年に35万人ほどが麻痺していた。天然痘の根絶宣言に続く、二つ目の根絶を目指す取り組みである。2020年にはアフリカで野生のウイルスが消えたことが確かめられ、野生のポリオが残るのはパキスタンとアフガニスタンだけになった。ただ、飲むワクチンの弱めたウイルスが、ごくまれに力を取り戻して麻痺を起こすことがある。そのため、多くの国がソークと同じ不活化のワクチンに戻している。日本も2012年に切り替えた。

コロンバス (ジョージア州)での大規模なポリオ予防接種(国立ポリオ免疫プログラムの早日)
コロンバス (ジョージア州)での大規模なポリオ予防接種(国立ポリオ免疫プログラムの早日)Wikimedia Commons CDC/Charles N. Farmer · Public domain

ソークとセービンは、生涯和解しなかったと言われる。ソークはノーベル賞を受けることは無く、のちにカリフォルニアのラホヤに研究所を作った。建築家ルイス・カーンが設計した、海に向かって開く広場を持つ建物である。ジェンナーの種痘からmRNAワクチンの接種開始までのワクチンの歴史の中で、ソークのワクチンは、国じゅうの市民が一つの試験に参加し、その成果を分け合った出来事として記憶されている。

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