概要
2020年12月8日、イギリスのコヴェントリーの病院で、90歳の女性マーガレット・キーナンが、新型コロナウイルスのワクチンを、臨床試験の外で世界で初めて受けた。ウイルスの一部の設計図を、脂の小さな粒に包んで体に入れ、体の細胞にその部分を作らせる、mRNAワクチンである。ウイルスの遺伝子の配列が公開されてから一年足らずで作られた。その土台には、ハンガリー出身の研究者カタリン・カリコらが、研究費も得られないなかで何十年も続けた研究があった。カリコとドリュー・ワイスマンは2023年、ノーベル賞を受けた。
場所
52.41°N -1.52°E · イギリス・イングランド
本文
細胞の中では、遺伝子の設計図が、メッセンジャーRNA(mRNA)という写しに書き写され、その写しをもとにたんぱく質が作られる。それなら、欲しいたんぱく質の写しを外から入れれば、体の細胞に薬やワクチンを作らせられるのではないか。この考えは1990年代からあったが、入れたmRNAは体の中ですぐに壊され、しかも強い炎症を起こした。
ハンガリーから一家でアメリカに渡った研究者カタリン・カリコは、ペンシルベニア大学で、何年もこの研究を続けていた。研究費の申請は次々に落とされ、職位を下げられもした。2005年、カリコと免疫学者ドリュー・ワイスマンは、mRNAを作る部品の一つを少し変えた形に置き換えると、炎症が起きにくくなることを示した。のちに、mRNAを脂の小さな粒に包んで細胞に届ける技術も進む。ドイツのビオンテックとアメリカのモデルナは、この技術で、がんの治療やワクチンの開発を進めていた。
2020年1月、中国の研究者が新型コロナウイルスの遺伝子の配列を公開した(COVID-19の世界的流行)。二つの会社は、その数日のうちに、ウイルスの表面の突起のたんぱく質の写しを設計した。mRNAのワクチンは、ウイルスを育てずに、設計図だけで作れる。臨床試験では、発症を9割以上防ぐことが示された。12月2日、イギリスが世界で初めて使用を認め、12月8日、コヴェントリーの病院で、90歳のマーガレット・キーナンが最初に接種を受けた。
ワクチンは、配列の公開から一年足らずで接種が始まった。それまで、最も早く作られたワクチンでも4年かかっていた。世界で数十億回の接種が行われ、多くの命を救ったと推計される。一方で、豊かな国が先に買い占め、貧しい国に届くのが遅れた。副反応への不安や、根拠の無い噂も広がった。カリコとワイスマンは2023年、ノーベル医学生理学賞を受けた。