← 地図で見る
Event / できごと

ドレスデン爆撃

Bombing of Dresden
AD1945年2月13日
重要度 4

概要

「エルベのフィレンツェ」に、戦争が終わる3か月前、英米の爆撃機1200機が2日で焼夷弾を落とした。火災旋風。2万5000人。避難民で膨れた街だった。「軍事目標はあったか」は、いまも問われる。ヴォネガットは捕虜として地下の食肉庫にいて、『スローターハウス5』を書いた。

場所

ドレスデン
51.05°N 13.74°E · ドイツ

本文

1945年2月。 ソ連軍がオーデル。東から避難民。ドレスデンに数十万。 「サンダークラップ」。「東の街を爆撃して、ソ連の進撃を助ける」。 ヤルタで、ソ連がベルリンとライプツィヒの爆撃を求めた。 ハリス。爆撃機軍団。「地域爆撃」。 2月13日、夜10時。第1波。244機のランカスター。マーカー。 夜1時30分、第2波。529機。 火災旋風。「ハンブルクと同じ」。 2月14日、昼。アメリカ。311機のB17。 2月15日、また。 3900トン。 旧市街。フラウエンキルヒェ。ツヴィンガー。 死者。 「25万」。ゲッベルス。「13万5000」。アーヴィング。「3万5000」。市の1945年の記録。「2万5000」。2010年の市の委員会。 2万5000人。 ヴォネガット。第106師団。バルジで捕虜。ドレスデン。屠殺場5号。地下の肉の冷蔵庫。生き延びた。翌日、死体を掘り出す仕事。 『スローターハウス5』。1969年。「そういうものだ」。 「軍事目標」。鉄道。工場。「ドレスデンには軍需工場があった」。「軍事目標は爆撃されなかった」。 チャーチル。3月28日。「ドイツの街を、テロのために、爆撃することの再検討」。空軍が抗議して、文を変えた。 ハリスは戦後、爵位をもらえなかった。爆撃機軍団は、記念碑がなかった。2012年まで。 「ドレスデン」。「戦争犯罪」。 東ドイツ。「英米の野蛮」。2月13日、毎年。 ネオナチ。「爆撃のホロコースト」。毎年2月13日、行進。市民が人間の鎖で囲む。 フラウエンキルヒェ。瓦礫のまま、45年。「記念碑として」。 1994年から2005年、再建。イギリスの寄付。コヴェントリーの司教の息子が十字架を作った。 ヴィクトル・クレンペラー。ユダヤ人。「明日、送られる」。爆撃で書類が焼け、星を外して、逃げた。日記。 「ドレスデンの爆撃が、私を救った」。 一人だけ。

同じ時代のできごと

不確定性原理AD1927年3月ラマン効果の発見AD1928年2月28日ペニシリンの発見AD1928年9月28日張作霖爆殺事件AD1928年6月4日世界恐慌1929年塩の行進1930年カザフの飢饉1930年金本位制の崩壊AD1931年9月