概要
1970年代の前半、ドルと金の交換が止まって通貨の仕組みが揺らぎ、石油危機で物価が上がりながら景気は冷え込んだ。1975年11月、フランスのジスカール・デスタン大統領は、パリの郊外のランブイエの城に、アメリカ、西ドイツ、イギリス、イタリア、日本の首脳を招いた。日本からは三木武夫首相が出席した。首脳たちが、少人数で膝をつき合わせて、世界の経済の舵取りを話し合う初めての場だった。翌年カナダが加わってG7となり、首脳会議は毎年開かれるようになった。2008年の金融危機のあとは、中国やインドなどを加えたG20の首脳会議も開かれている。
場所
48.64°N 1.83°E · フランス・イヴリーヌ県
本文
第二次世界大戦のあとの西側の経済は、アメリカのドルを金と結びつけ、各国の通貨をドルに固定するブレトン・ウッズの仕組みの上で成長してきた(ブレトン・ウッズ会議)。だが1971年8月、アメリカのニクソン大統領は、ドルと金の交換を突然止めた(金とドルの交換停止)。通貨の値段は市場で揺れ動くようになった。1973年の石油危機は、物価を急に押し上げ、それでいて景気は冷え込む「スタグフレーション」を西側の国々にもたらした。
こうした危機に、各国はばらばらに対応し、互いに自分の国の利益を優先して摩擦を起こしていた。1973年ごろから、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、のちに日本の財務大臣たちが、ワシントンのホワイトハウスの図書室で非公式に会い、通貨の問題を話し合うようになっていた。その中心にいたのが、フランスのジスカール・デスタンと西ドイツのヘルムート・シュミットで、二人はともに財務大臣から首脳になった。
1975年11月15日、フランスの大統領になったジスカール・デスタンは、パリの南西のランブイエの城に、アメリカのフォード大統領、西ドイツのシュミット首相、イギリスのウィルソン首相、イタリアのモーロ首相、日本の三木武夫首相を招いた。役人の大がかりな準備や長い声明ではなく、首脳どうしが暖炉の前で率直に話し合うことが狙いだった。会議は、通貨の安定、貿易の保護主義の抑え込み、エネルギーの問題などを話し合い、宣言を出して3日間で閉じた。
首脳会議は毎年開かれるようになった。1976年にカナダが加わってG7となり、1977年からはヨーロッパ共同体の代表も参加した。1979年には東京で初めて日本が議長国を務めた。話し合う中身は、経済から、冷戦、テロ、環境、感染症などへと広がっていった。冷戦が終わると、ロシアが加わってG8となったが、2014年、ロシアがクリミアを編入すると、ロシアの参加は停止された。
2008年の世界的な金融危機のあと、中国、インド、ブラジルなど新しく力をつけた国々を加えないと世界の経済は語れなくなり、G20の首脳会議が開かれるようになった。G7は、価値を共有する先進国の集まりとして続いているが、世界の経済に占める割合は、1975年のころに比べて小さくなっている。