できごと

金とドルの交換停止

Nixon shock
AD1971年8月15日
重要度 5
金とドルの交換停止に関わる図版:Nixon 30-0316a
Nixon 30-0316a Wikimedia Commons Oliver F. Atkins · Public domain

概要

アメリカがドルと金の交換をやめた。世界の通貨から、金という裏づけが消える。以後のお金は、国家への信用そのものになった。

場所

ワシントンD.C.
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国

本文

1971年8月15日の日曜日の夜、アメリカ大統領リチャード・ニクソンはテレビで演説した。ドルと金の交換を一時的に停止する。同時に、90日間の賃金と物価の凍結、輸入品への10%の課徴金も発表した。新経済政策と名づけられたこの方針は、その前の週末、ワシントン郊外のキャンプ・デービッドに財務長官コナリーや連邦準備制度理事会のバーンズ議長ら少数の側近を集めて決められたもので、主要国には事前の相談がなかった。

ニクソンは演説で、国際的な通貨の投機筋がドルに全面的な戦争を仕掛けていると述べ、交換の停止はドルを守るための措置だと説明した。国民に向けては、外国の車を買ったり海外へ旅行したりすればドルの値打ちは少し下がるかもしれないが、国内でアメリカ製品を買う大多数の人にとって、ドルの値打ちは明日も今日と変わらない、と語りかけた。

US Dollar Index DXY
Wikimedia Commons Wikideas1 · CC0

一時的とされたが、交換は二度と戻らなかった。

戦後の国際通貨の仕組みは、1944年のブレトン・ウッズ会議で決められていた。ドルだけが金1オンス=35ドルで金と交換でき、他国の通貨はドルとの交換比率を固定する。日本の円は1949年から1ドル=360円だった。各国の中央銀行はドルを持っていれば、いつでもアメリカに金との交換を求められる。ドルは金の代わりとして世界に配られ、戦後の貿易と復興を支えた。

だがこの仕組みには、はじめから矛盾があった。世界の貿易が伸びるほど、ドルが外に出て行かなければ足りなくなる。ドルが外に出るほど、アメリカの持つ金に対してドルの量が膨らみ、交換の約束は疑わしくなる。経済学者トリフィンが1960年に指摘したこの矛盾は、彼の名で呼ばれる。1960年代、ベトナム戦争の戦費と国内の社会政策で、アメリカの支出は膨らんだ。西ドイツや日本の産業は力をつけ、アメリカの貿易の黒字は細っていった。

ベトナム戦争に関わる図版:U.S. Army UH-1H Hueys insert ARVN troops at Khâm Đức, Vietnam, 12 July 1970 (79431435)
ベトナム戦争Wikimedia Commons U.S. Air Force (Operation Holly 1970 (Folder 13 of 15), sheet 182) · Public domain

フランスのドゴール大統領は1965年、ドルが特権を持ちすぎていると批判し、保有するドルを金に換えはじめた。戦後すぐには2万トンを超えていたアメリカの金の保有は、1971年には1万トンを大きく割り込んでいた。外国が持つドルの額は、すでに金の価値をはるかに上回っていた。1971年の春にはドルを売ってマルクを買う動きが強まり、西ドイツは5月に為替を一時変動に移した。この年、アメリカの貿易収支は20世紀に入ってはじめて赤字に転じようとしていた。交換の求めにすべて応じれば、金はなくなる。止めるしかなかった。

日本では「ドル・ショック」と呼ばれた。演説が伝わったのは日本時間の8月16日の朝で、欧州の主要な為替市場が閉鎖されるなか、東京の市場は開き続け、日銀は360円の固定相場でドルを買い支えた。28日に変動相場制へ移るまでに、大量のドルを買い込むことになった。

その年の12月、ワシントンのスミソニアン博物館で主要10か国の会議が開かれ、ドルを切り下げて金1オンス=38ドル、1ドル=308円とする新しい固定相場が決まった。ニクソンは「史上最も重要な通貨の合意」と呼んだが、長くは続かなかった。ドル売りは収まらず、1973年の春までに主要国は相次いで変動相場制に移った。1976年、国際通貨基金の会合がそれを正式に追認した。

これで、世界のどの通貨も金の裏づけを持たなくなった。お金の価値を支えるのは、それを発行する国家と中央銀行への信用だけになる。中央銀行は金の量に縛られずに通貨を出せるようになり、1970年代には世界中で物価が激しく上がった。為替は毎日動くものになり、通貨の売り買いそのものが巨大な市場になった。国際的な資本の流れは、そこから桁を変えて膨らんでいく。金と交換できなくなったドルは、それでも世界の基軸通貨であり続けた。石油をはじめ多くの商品がドルで取引され、各国が外貨の準備をドルで持ち続けたからである。1985年のプラザ合意のように、主要国が協調して為替を動かす時代が来る。

金そのものは、ただの商品になった。1オンス35ドルに縛られていた値段は自由に動きはじめ、1980年の初めには一時850ドルをつけた。各国の中央銀行はいまも大量の金を持ち続けているが、それと引き換えに通貨を渡すという約束は、どこにも残っていない。

金とお金の結びつきを断ち切ったのは、これが最初ではない。1931年にはイギリスが金本位制の崩壊で金本位制を離れ、各国が続いた。それでも、ドルを通じて世界の通貨がまだ金とつながっていたのは、1971年までだった。

人類学者デヴィッド・グレーバーの物語「『負債論』で読む歴史」は、この日を本の最終章の始まりに置いた。グレーバーによれば、歴史には、金銀の硬貨が支配する時代と、帳簿の上の信用が支配する時代が、交互にやってくる。1971年は、世界がふたたび信用の時代に入った日になる。かつての信用の時代には、借金の帳消しや利子の制限のように、債務者を守る仕組みもあった。新しい信用の時代にはそれがまだない。その時代がどうなるかはまだ分からない、と本は書いて終わる。

出典(1)

デヴィッド・グレーバー(酒井隆史 訳) 『負債論 貨幣と暴力の5000年』第12章(1971年から現在まで)

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