← 地図で見る
Event / できごと

ブレトン・ウッズ会議

The Bretton Woods Conference
AD1944年7月1日
重要度 5
バハマキューバハイチドミニカ共和国メキシコタークス・カイコス諸島Dominion of Newfoundlandカナダアメリカ合衆国デンマークポルトガル帝国大英帝国アメリカ合衆国AD1944年7月1日ブレトン・ウッズ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1944年7月1日の版図を描いています(13勢力)

概要

ノルマンディー上陸の3週間後、44か国の代表がニューハンプシャーの山中のホテルに集まった。目的は、両大戦の間の混乱——為替の切り下げ競争、ブロック経済、そしてそこから戦争へ至った道——を繰り返さない仕組みを作ることである。ケインズは、どの国にも属さない国際通貨バンコールと、黒字国にも調整を課す清算同盟を提案した。アメリカのホワイト案が通った。ドルを金に固定し(1オンス35ドル)、各国通貨をドルに固定する。IMFと世界銀行ができた。

場所

ブレトン・ウッズ
44.26°N -71.44°E · アメリカ・ニューハンプシャー州

関わった人(1)

ジョン・メイナード・ケインズAD1883年6月5日–AD1946年4月21日 · 案を出した

本文

**場所**。

**ニューハンプシャー州、ホワイト山地の麓**。

**マウント・ワシントン・ホテル**。1902年に建てられた、赤い屋根の巨大なリゾートホテル。

(大恐慌以来、閉鎖に近い状態だった。会議のために、慌てて再開された。従業員が足りず、暖房が壊れ、配管が漏れた。参加者の回想には、部屋の質と、食事と、そして虫についての苦情が多く残っている。)

なぜ、こんな場所か。

- 静かで、外部から遮断されている。 - 夏に涼しい。 - そして——**ニューハンプシャー州の上院議員チャールズ・トビーが、孤立主義者であり、彼の州で会議を開けば、その支持を得やすい**という政治的な計算があった、とされる。

**時期**。

**1944年7月1日〜22日**。

**ノルマンディー上陸から、3週間後**。

(戦争は、まだ終わっていない。ドイツは戦い続けており、日本との戦争は1年以上続く。)

**なぜ、この時期に**。

前の戦争の後、何が起きたかを、彼らは知っていた。

**両大戦の間**。

- 金本位制への復帰の失敗。 - 1929年、大恐慌。 - **競争的な通貨切り下げ**。自国の輸出を有利にするため、通貨を切り下げる。他国も切り下げる。誰も得をしない(「**近隣窮乏化政策**」)。 - **関税の引き上げ**。1930年、アメリカの**スムート=ホーリー法**。各国が報復した。世界貿易が、3年で3分の1に縮んだ。 - **ブロック経済**。イギリスの帝国特恵、フランスのフラン圏、そしてドイツと日本の「生存圏」と「大東亜共栄圏」。 - そして——**戦争**。

(この因果の理解が、会議の前提である。コーデル・ハル米国務長官の言葉——「**商品が国境を越えなければ、兵隊が越える**」。)

**参加**。

**44か国**、730人。

(ソ連も参加した。中国、インド〈まだイギリス領〉、ブラジル、そして亡命政権を含むヨーロッパ諸国。)

実質的に決めたのは、**二人**である。

**ケインズ**。

**ジョン・メイナード・ケインズ**、61歳。イギリス代表団の実質的な指導者。

心臓を病んでいた(1937年に発作を起こしている)。大西洋を何度も往復し、そのたびに衰弱した。

(彼は、この会議の2年後に死ぬ。)

**ホワイト**。

**ハリー・デクスター・ホワイト**、52歳。アメリカ財務省の高官。

(ロシア系ユダヤ移民の子。苦学して経済学の博士号を取った。財務長官モーゲンソーの信頼を得ていた。)

**構想の対立**。

**ケインズ案**。

**国際清算同盟**(International Clearing Union)。

- **バンコール**(bancor。フランス語の banque + or = 銀行の金)という、**どの国のものでもない国際通貨**を作る。 - 各国は、貿易の決済を、清算同盟の口座を通じて行う。 - **黒字国にも、調整の義務を課す**。

(これが核心である。

通常、赤字国だけが調整を強いられる。輸入を減らし、緊縮し、失業を受け入れる。

ケインズの案では、**黒字が一定額を超えた国も、罰則的な利子を課され、通貨の切り上げか、内需の拡大を求められる**。

理由——不均衡は、両側で作られている。赤字国だけに調整を押しつければ、世界全体が縮む。)

- 清算同盟の規模は、巨大(世界貿易の半分程度の与信枠)。

**ホワイト案**。

- **ドルを、金に固定する**(1オンス=35ドル)。 - 各国の通貨を、**ドルに固定する**(変動幅は上下1%)。 - 国際収支の一時的な赤字に対して、**基金**が短期の融資を行う。 - 基金の規模は、はるかに小さい。 - **黒字国への義務は、ない**。

**なぜホワイト案が通ったか**。

単純である。

**当時、アメリカは、世界の金の準備の3分の2を持っていた**。

そして、世界最大の**債権国**であり、最大の**黒字国**だった。

ケインズの案は、**アメリカに調整の義務を課す**。アメリカが、それを呑む理由がない。

(イギリスは、既に事実上の破産状態にあった。戦費のために資産を売り尽くし、アメリカからのレンドリースに依存していた。交渉の立場がない。

ケインズは、この会議の後、対米借款の交渉のためにワシントンへ行き、屈辱的な条件を呑まされる。その交渉が、彼の体を壊した。)

**合意**。

**1944年7月22日**、最終議定書に署名。

**(1)為替の仕組み**。

- **金1オンス=35ドル**。アメリカは、外国の中央銀行に対して、ドルを金と交換することを約束する。 - 各国の通貨は、**ドルに対して固定**する。変動幅は±1%。 - 「**基礎的不均衡**」がある場合には、IMFの承認を得て、平価を変更できる。

(つまり、完全な固定ではない。調整可能な固定相場である。)

**(2)IMF**(国際通貨基金)。

- 各国が、割当額(クォータ)に応じて出資する。 - 国際収支が一時的に悪化した国に、短期の融資を行う。 - 投票権は、**出資額に比例する**。(つまり、アメリカが最大の発言権を持つ。)

**(3)IBRD**(国際復興開発銀行、後の**世界銀行**)。

- 戦後の復興と、開発のための長期の融資。

(当初の主眼は、ヨーロッパの復興だった。しかし、その役割は、1948年からの**マーシャル・プラン**が担った。世界銀行の主な業務は、次第に途上国の開発へ移った。)

**(4)貿易**。

貿易の機関(ITO、国際貿易機関)も構想されたが、アメリカ議会が批准を拒んだ。

代わりに、1947年、**GATT**(関税と貿易に関する一般協定)。1995年、**WTO**。

**実際**。

- 1946年、ケインズ死去。62歳。 - 1946年、ソ連が、**批准を拒否した**。(スターリンが、これをアメリカの支配の道具と判断した。冷戦の最初期の分岐点の一つとされる。) - 1958年まで、ヨーロッパの主要通貨は、実際には交換可能ではなかった。制度が本格的に機能したのは、1959年から。

**ホワイトの、その後**。

1948年、下院非米活動委員会に召喚された。

**ソ連のスパイであった**という告発を受けた。

(彼は、財務省の高官として、ソ連に情報を渡していた疑いをかけられた。1990年代に公開された**ヴェノナ文書**〈ソ連の暗号通信の解読記録〉が、彼がソ連の情報機関と接触していたことを示唆している。ただし、彼の動機と、行為の性質については、いまも議論がある。彼を「スパイ」とする評価と、「戦時中の同盟国との協力を、独断で行った人物」とする評価が並んでいる。)

彼は、委員会で否認する証言を行った。

**3日後**、心臓発作で死んだ。**55歳**。

**終わり**。

1960年代、問題が現れた。

**トリフィンのジレンマ**(ベルギーの経済学者ロベール・トリフィンが、1960年に指摘)。

世界経済が成長するには、**ドルが世界に供給され続けなければならない**(ドルが国際的な決済通貨だから)。

しかし、ドルが世界に溢れれば、**アメリカの金準備に対する比率が上がる**。

やがて、「本当に金と交換できるのか」という疑いが生じる。

そして、疑いが生じれば、**交換の請求が殺到する**。

(1960年代、ベトナム戦争と「偉大な社会」計画で、アメリカの財政が悪化した。ドルが流出した。

フランスのド・ゴールが、公然と**ドルを金に交換することを要求した**。1965年、彼は記者会見で、ドルの「法外な特権」を批判した。)

**1971年8月15日**。

**ニクソン大統領が、テレビで発表した**。

**ドルと金の交換を、停止する**。

(「一時的に」と述べられた。恒久的になった。)

1973年、主要国が変動相場制へ移行した。

ブレトン・ウッズ体制は、**27年**で終わった。

**残ったもの**。

- **IMF**と**世界銀行**は、いまもある。(ただし、その役割は変わった。IMFは、途上国と危機に陥った国への融資と、そこに付ける条件〈コンディショナリティ〉で知られるようになった。1997年のアジア通貨危機での対応は、強く批判された。) - **ドルが基軸通貨である**という状態は、金との結びつきを失った後も、続いている。 - そして、**ケインズのバンコール**は、いまも参照される。(2009年、中国人民銀行総裁の周小川が、論文で、単一国の通貨に依存しない国際準備通貨の構想として、ケインズのバンコールに言及した。)

マウント・ワシントン・ホテルは、いまも営業している。

会議が行われた「**金の間(ゴールド・ルーム)**」が、当時のまま保存されている。

同じ時代のできごと

『ラプソディ・イン・ブルー』AD1924年2月12日フランクフルト・キッチンAD1926年不確定性原理AD1927年3月ラマン効果の発見AD1928年2月28日ペニシリンの発見AD1928年9月28日張作霖爆殺事件AD1928年6月4日世界恐慌1929年カザフの飢饉1930年
AD1944年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります