ストラスブールの誓い

概要
ルートヴィヒの兄弟が、長兄ロタールに対して同盟した。ルートヴィヒはロマンス語(古フランス語)で、シャルルは古高ドイツ語で、互いの兵に分かるように誓った。書き残されたフランス語の最古の文。翌年、ヴェルダンで帝国を三つに分けた。
場所
48.57°N 7.75°E · フランス・グラン・テスト地域圏
本文
カール大帝が西ヨーロッパの大半を一つにまとめたフランク王国は、その子ルートヴィヒ敬虔帝の代に揺らぎ始めた。フランク人には、父の土地を息子たちで分ける習わしがある。一方で、800年のカール大帝の戴冠で復活した皇帝の位は、分けることのできない一つのものだった。敬虔帝は817年、長男のロタールを共同皇帝とし、帝国の大部分をその下に置く取り決めを作った。ところが823年、再婚した妃ユディトとの間に末子シャルルが生まれると、母はこの子にも分け前を求めた。取り決めは何度も書き換えられ、そのたびに息子たちは父に反旗を翻した。830年代のフランク王国は、父と子、兄と弟が入り乱れて争う場になった。
840年6月、敬虔帝が死んだ。皇帝の称号を継いだロタールは、帝国全体への支配を主張した。これに対し、東のバイエルンを本拠とする次男ルートヴィヒ(のちに「ドイツ人王」と呼ばれる)と、西の末子シャルル(のちの禿頭王)が手を結んだ。841年6月25日、ブルゴーニュのフォントノワで、兄弟の軍がぶつかった。ロタールの側が敗れたが、フランクの貴族同士が殺し合った犠牲は大きく、同時代の詩人はこの日を呪われた日と嘆いた。ロタールはなお屈せず、ルートヴィヒとシャルルはさらに固い同盟を必要とした。

842年2月14日、二人はそれぞれの軍を率いて、ライン川のほとりの町ストラスブール(ローマ時代の名はアルゲントラトゥム)で会った。この日の様子を書き留めたのは、シャルルの側に仕えた貴族ニタルドゥスである。彼はカール大帝の娘ベルタの子で、兄弟たちの従兄弟にあたる。シャルルに頼まれて、兄弟の争いの記録を書いていた。
ニタルドゥスによれば、まず二人の王が、それぞれ自分の兵に向かって演説した。ルートヴィヒは自分の兵の言葉であるドイツ語で、シャルルは自分の兵の言葉であるロマンス語で、ロタールの非道と、自分たちが誓いを交わす理由を説いた。それから、兄のルートヴィヒが、シャルルの兵にも分かるようにロマンス語で誓いの言葉を述べた。神の愛と、キリスト教の民と、我らの共通の救いのために、今日から先、神が私に知恵と力を与える限り、私はこの我が弟シャルルを、助けと万事において支える。続いてシャルルが、ルートヴィヒの兵に分かるようにドイツ語で、同じ内容を誓った。最後に兵たちが、それぞれ自分の言葉で誓った。もし自分の王が誓いを破ったならば、自分はその王を助けない、と。

ニタルドゥスは、この誓いの文を、ラテン語の本文の中に、話されたとおりの言葉で書き写した。ロマンス語の誓いは「プロ・デオ・アムール(Pro Deo amur)」で始まる。ラテン語に似てはいるが、もはやラテン語ではない。のちのフランス語につながる言葉が文字に書かれた、現存する最古の例とされ、フランス語の歴史はふつうこの文から語り起こされる。ドイツ語の誓いのほうも、古高ドイツ語のまとまった文として貴重なものである。ニタルドゥスの著作は、10世紀ごろに書き写された一つの写本だけで伝わっている。
この誓いは、言葉が分かれていく時代を写している。ガリアの民衆が話す言葉は、何百年もかけてラテン語から離れていた。教会と役所ではラテン語で書き、読み上げていたが、聞く者にはもう分からない。813年、カール大帝のもとで開かれたトゥールの教会会議は、司祭は説教を、民衆に分かるようにロマンス語かドイツ語に訳して語るべきだと定めていた。ストラスブールで兄弟が互いの兵の言葉で誓ったのは、誓いが兵たちに理解され、兵たち自身を縛るものでなければならなかったからである。
誓いの後、二人の連合を前にロタールは折れた。843年8月、三兄弟はヴェルダン条約を結び、帝国を三つに分けた。シャルルは西を、ルートヴィヒは東を、ロタールは皇帝の位とともに、北海からイタリアまで南北に細長く伸びる中部を取った。ロタールの死後、中部はさらにその息子たちに分けられ、北の部分は息子ロタール2世の名から「ロタリンギア」と呼ばれた。いまのロレーヌ地方の名はここから来ている。870年のメルセン条約で、ロタリンギアは東西の王国に分け取られた。

西フランクはのちのフランスに、東フランクはのちのドイツにつながっていく。そのため、ストラスブールの誓いとヴェルダン条約は、フランスとドイツの始まりとして語られることが多い。ただし、842年の兄弟は自分たちをフランク人と考えており、国境も言葉の境とは一致していなかった。二つの国と二つの国民がはっきりした形をとるのは、ずっと後のことである。
それでも、二つの言葉が出会う境目という性格は、ストラスブールにそのまま残った。この町を含むアルザスは、長く神聖ローマ帝国の一部だったが、1681年にルイ14世のフランスに併合された。1871年、普仏戦争に敗れたフランスからドイツ帝国に割譲され、1918年の第一次世界大戦の終わりにフランスへ戻り、1940年にはナチス・ドイツに占領され、1944年の冬に解放された。町の持ち主は、2世紀半のあいだに5度変わったことになる。第二次世界大戦の後、ストラスブールには欧州評議会が置かれ、欧州議会の本会議場もこの町にある。千年以上前に兄弟が互いの言葉で誓いを交わした町は、いまヨーロッパの和解を象徴する町の一つになっている。