ポリュクラテスのサモス

概要
兄弟を殺して僭主になり、100隻の船で海を支配した。トンネルと防波堤と神殿。運が良すぎるのを恐れて指輪を海に捨てると、魚の腹から戻った。エジプト王は同盟を切った。ペルシアの総督に騙されて磔にされた。ピュタゴラスは彼を嫌って島を出た。
場所
37.75°N 26.98°E · ギリシア
関わった人(1)
ポリュクラテス?–BC522年 · 僭主本文
サモスは、エーゲ海の東、いまのトルコの海岸に寄り添うように浮かぶ島である。対岸には、イオニアの大きな港町ミレトスがあった。ギリシア人がこの海岸に移り住んで以来(イオニア植民)、イオニアの町々は東の内陸の大国と地中海を結ぶ交易で栄え、サモスは女神ヘラを祀る聖地として、また船乗りの島として知られていた。紀元前6世紀の半ば、この島に一人の僭主が現れた。
僭主とは、王の血筋ではなく、力で国の支配を握った者のことである。ポリュクラテスは紀元前538年ごろ、二人の兄弟と組んで政権を奪い、のちに兄弟の一人を殺し、もう一人を島から追って、ひとりで島を治めた。彼のことを最も詳しく伝えるのは、およそ100年後に書かれたヘロドトスの『歴史』の第3巻である。それによると、ポリュクラテスは50本の櫂で漕ぐ軍船100隻と1000人の弓兵を抱え、敵味方を問わず海の上で船を襲った。友人から奪っておいて後で返してやれば、初めから奪わないより感謝される、と語ったという。ミレトスを助けに来たレスボスの艦隊を打ち破り、エーゲ海の島々を次々に従えて、海の覇者となった。

ポリュクラテスの時代のサモスには、ヘロドトスがギリシア人の造ったもので最も優れていると讃えた三つの工事があった。一つは、山を貫いて町に水を引くトンネルで、長さは1キロあまり、メガラの技師エウパリノスが山の両側から掘り進めさせ、中ほどでつなげた。二つめは、港を守る防波堤。三つめは、ヘロドトスが自分の見た中で最大の神殿と呼んだヘラの神殿である。宮廷には詩人のアナクレオンやイビュコスが招かれ、サモスは富と文化の島になった。一方で、この島に生まれた哲学者ピュタゴラスは、僭主の支配を嫌って島を去り、南イタリアのクロトンへ移ったと伝えられる。
ポリュクラテスの名を後世に残したのは、指輪の物語である。彼はエジプト王アマシスと同盟を結んでいた。ヘロドトスによれば、アマシスは、ポリュクラテスの運があまりに良すぎることを心配して手紙を送った。神々は人の大きすぎる幸運を妬む。幸と不幸を交互に味わうほうがよい。だから、あなたが最も大切にしているものを、二度と戻らないように捨てなさい、と。ポリュクラテスは、金にエメラルドをはめた愛用の印章の指輪を選び、船で沖へ出て、皆の見ている前で海に投げ込んだ。

ところが5、6日後、一人の漁師が見事な大魚を献上した。料理人が魚の腹を開くと、中からあの指輪が出てきた。知らせを聞いたアマシスは、人は他人を定めから救い出すことはできない、この男はきっと悪い最期を迎える、と考え、同盟を断ったという。その不幸が来たとき、友として嘆かずにすむよう、先に縁を切ったのだという。もちろん、これは教訓を込めた物語であり、実際には、ペルシアの脅威が迫る中で両者の利害が分かれたためと考えられている。
紀元前525年、ペルシア王カンビュセスがエジプトへ攻め込むと(カンビュセスのエジプト征服)、ポリュクラテスはペルシアの側につき、軍船40隻を送った。船には、自分に逆らいそうな市民を選んで乗せ、帰らせないよう頼んだという。彼らは途中で引き返して島を攻め、スパルタの助けまで得てサモスを40日囲んだが、町は落ちなかった。

最期はあっけなかった。紀元前522年ごろ、小アジアのサルディスを治めるペルシアの総督オロイテスが、ポリュクラテスに使いを送った。自分は王に命を狙われている、財産を持ってそちらへ逃げたい、その金があればあなたはギリシア全体を支配できる、と。使者が見せられた箱には、金が詰まっているように見えたが、実は石の上に金を薄く敷いただけだった。娘は、父が空に浮かび、ゼウスに洗われ、太陽に油を塗られる夢を見て、行かないでと止めた。ポリュクラテスは耳を貸さずに対岸のマグネシアへ渡り、捕らえられて殺され、その体は磔にされた。雨が体を洗い、太陽が体から脂をにじませて、娘の夢はそのとおりになった、とヘロドトスは書いている。
あまりに幸運な者は、かえって不幸を招く。この考えの典型として、指輪の物語は語り継がれ、1797年にはドイツの詩人シラーが「ポリュクラテスの指輪」という詩にした。サモスのヘラの神殿はいま柱が一本立つばかりだが、エウパリノスのトンネルは中に入って歩くことができ、ともに世界遺産になっている。