人物

ポリュクラテス

Polycrates
? – BC522年
サモス重要度 3

概要

サモスの僭主。100隻の五十櫂船。海賊で富み、アナクレオンを宮廷に置き、エウパリノスに山を貫く水道を掘らせた。エジプトのアマシスが「運が良すぎる」と友情を切った。指輪の話。ペルシアの総督オロイテスに金で釣られてマグネシアで磔にされた。

関わったできごと(1)

ポリュクラテスのサモスBC530年頃 · 僭主

本文

エーゲ海の東、小アジアの沿岸に近いサモス島の僭主。父はアイアケスという名で、生年は分からない。紀元前6世紀の半ば、おそらく紀元前538年から535年頃に、兄弟のパンタグノトス、シュロソンとともに島の支配を奪った。ヘラの祭りで市民が集まった隙を突いたとも伝わる。まもなくパンタグノトスを殺し、シュロソンを追放して、ただ一人の支配者になった。ポリュクラテスとは「多くの力を持つ者」という意味である。生涯の大部分はヘロドトスの『歴史』第3巻が伝える(ヘロドトス『歴史』)。

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ヘロドトス『歴史』Wikimedia Commons Unknown · Public domain

彼の力の源は海だった。五十櫂船100隻と弓兵1000人をそろえ、エーゲ海を荒らし回った。敵も味方も構わず襲い、奪ったものを友人に返してやれば、何も取らなかったときよりもっと感謝される、と言ったという。ミレトスを助けに来たレスボスの艦隊を破り、捕虜に鎖をつけて、サモスの城壁を囲む堀を掘らせた。ヘロドトスは彼を、伝説のクレタ王ミノスを除けば、ギリシア人で初めて海の支配を目指した者と呼んでいる(ポリュクラテスのサモス)。

富はサモスを飾った。ヘロドトスは、サモスにはギリシアのどこにもない三つの大工事があると書く。山を貫く水道のトンネル、港を守る深い海の防波堤、そしてギリシア最大のヘラ神殿である。トンネルを掘ったのはメガラの技師エウパリノスで、長さは1キロメートルを超える。山の両側から同時に掘り進め、中ほどでわずかな食い違いで出会った。当時の測量の技術でどうやって方向と高さを合わせたのか、いまも研究者の関心を集めている。宮廷には抒情詩人のアナクレオンやイビュコスを招き、医者のデモケデスをアテナイより高い年2タラントの報酬で雇った。

ポリュクラテスとエジプト王アマシス2世
ポリュクラテスとエジプト王アマシス2世Wikimedia Commons Anonymous Unknown author Published in 1890 · Public domain

この島に生まれたのがピュタゴラスである。伝承によれば、ピュタゴラスは僭主の支配を嫌ってサモスを去り、南イタリアのクロトンへ移った。いまサモスは「ピュタゴラスの島」として知られ、島の港町にはその名が付けられている。

ヘロドトスが伝える最も有名な話は、エジプト王アマシスとの友情にまつわるものだ。アマシスはポリュクラテスと盟約を結んでいたが、あまりに運が良すぎることを案じて手紙を送った。神々は妬み深い。最も大切にしているものを自ら捨て、幸運に不運を混ぜよ。ポリュクラテスは、名工テオドロスが作った緑の宝石の印章指輪を選び、船で沖へ出て海に投げ込んだ。数日後、漁師が見事な大魚を献上し、料理番がその腹を割くと、中から指輪が出てきた。知らせを聞いたアマシスは、運命から逃れられない男の不幸に巻き込まれぬよう、友情を絶ったという。作り話の匂いの強い逸話だが、実際にはペルシアが勢いを増すなかで、ポリュクラテスがエジプトを見限ってペルシアに近づいたとみる研究者が多い。

サモスのヘラ神殿にある戦士像(紀元前530年)
サモスのヘラ神殿にある戦士像(紀元前530年)Wikimedia Commons Jona Lendering · CC0

紀元前525年、ペルシアのカンビュセス2世がエジプトを攻めたとき、ポリュクラテスは40隻の船を援軍に送った。乗せたのは、反乱を起こしそうな市民たちだった。厄介払いである。ところが彼らは途中で引き返してサモスを攻め、スパルタとコリントスの援軍を呼んだ。スパルタ軍はサモスを40日にわたって包囲したが、落とせずに帰った。

最期は、富への欲がもたらした。リュディアのサルディスにいたペルシアの総督オロイテスが、自分は王に命を狙われている、財宝を渡すから助けてほしい、その金でギリシアを支配すればよい、と持ちかけた。ポリュクラテスは秘書を送って箱を確かめさせたが、箱の中身は石で、上だけが金で覆われていた。それを見抜けなかった。出発の前、娘は、父が空中に吊るされ、ゼウスに洗われ、太陽に油を塗られる夢を見て引き止めたが、ポリュクラテスは聞かなかった。紀元前522年頃、対岸のマグネシアに渡った彼は捕らえられ、ヘロドトスが語るに値しないと書く方法で殺され、遺体は磔にされた。雨に洗われ、陽に照らされて、娘の夢はそのとおりになった。

娘をオロイテスのもとへ送り出すポリュクラテス
娘をオロイテスのもとへ送り出すポリュクラテスWikimedia Commons Unkown (published in 1832) · Public domain

追放されていた弟シュロソンは、かつてエジプトで、カンビュセスの護衛兵だった若いダレイオス1世に気に入られた赤いマントを贈ったことがあった。王となったダレイオスはその恩に報いて、ペルシアの軍でシュロソンをサモスに戻した。しかしその過程でサモスの男たちは多くが殺され、島は人がいなくなった。「シュロソンのおかげで広々とした」という言い回しが生まれたとストラボンは伝える。

18世紀末、シラーは指輪の逸話を詩「ポリュクラテスの指輪」にうたい、幸運の絶頂にある者への戒めとして広く知られるようになった。エウパリノスのトンネルは19世紀末に再び見つかり、いまは中を歩くことができる。ヘラ神殿は柱が一本立っているだけだが、ピュタゴレイオンの町とともに世界遺産になっている。海の帝国を夢見た僭主の名は、詩と石の中に残った。

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