ペリアンドロスのコリントス

概要
僭主の父の跡を継ぎ、コリントスを海の街にした。地峡に船を陸で運ぶ道を敷き、植民市を送り、詩人を招いた。七賢人に数えられ、妻を殺して死体を犯し、母と寝たと言われた。「暴君の見本」と「賢者」が同じ人につけられた。
場所
37.91°N 22.88°E · ギリシア・ペロポネソス地方
関わった人(1)
ペリアンドロス?–BC585年 · 僭主本文
コリントスは、ギリシア本土とペロポネソス半島をつなぐ細い地峡の付け根にある町である。東のエーゲ海と西のイオニア海の両方に港を持ち、陸の道と海の道が交わるこの町は、古くから交易で栄えた。紀元前8世紀から7世紀にかけて、町を治めていたのはバッキアダイと呼ばれる貴族の一族で、一族の中でしか結婚せず、権力を独り占めしていた。
ヘロドトスの伝える話では、バッキアダイの一族に、足の悪いラブダという娘がいた。一族の誰も彼女を娶ろうとしなかったので、彼女は一族の外の男に嫁いだ。やがて、その子が一族を滅ぼすという神託が出た。一族は10人の男を送って赤子を殺させようとしたが、赤子が男たちに笑いかけたので、誰も手を下せなかった。母は子を箱(キュプセレ)に隠して守り、子はキュプセロスと名づけられた。成長したキュプセロスは紀元前657年ごろ、民衆の支持を得てバッキアダイを追い出し、コリントスの僭主となった。

紀元前627年ごろ、キュプセロスの跡を継いだのが息子のペリアンドロスである。ペリアンドロスのもとで、コリントスはギリシアで最も豊かな町の一つになった。地峡の最も狭いところには、船を陸の上で引いて東西の海を行き来させる石畳の道、ディオルコスが敷かれた。船や荷を台車に載せて溝に沿って引けば、ペロポネソス半島をぐるりと回る危険な航海をしなくてすむ。この道は彼の時代か、その少し後に造られたと考えられている。地峡を掘り抜く運河が実際に開かれたのは、2500年近くのちの1893年のことだった。
コリントスは、北西ギリシアの海岸やマケドニアの近くに植民市を送り出し、交易の網を広げた。コリントスで焼かれた、動物や草花の文様で飾った陶器は、紀元前7世紀から6世紀にかけて、地中海の各地へ運ばれた。宮廷には詩人や音楽家が集まった。竪琴の名手アリオンは、ディオニュソスの神をたたえる合唱歌を整えたとされ、のちの悲劇の源の一つに数えられる。アリオンがイタリアからの帰り道、金を狙う船乗りに海へ投げ込まれ、イルカの背に乗って岸にたどり着いたという話も、ペリアンドロスの宮廷を舞台にした物語として伝わっている。

一方で、ペリアンドロスは、父よりも血を好んだ暴君としても語り継がれた。ヘロドトスによれば、彼はミレトスの僭主トラシュブロスに使者を送り、どうすれば国を最もうまく治められるかを尋ねた。トラシュブロスは使者を麦畑へ連れ出し、何も言わずに、ほかより高く伸びた穂を見つけては折り取って捨てた。帰った使者からこの様子を聞いたペリアンドロスは、その意味を悟った。抜きん出た市民を除け、ということである。ローマ最後の王タルクィニウス(タルクィニウス・スペルブス)がケシの花を打ち落として息子に同じことを伝えたという、よく似た話も残っている。
家族をめぐる話は、さらに暗い。ペリアンドロスは妻メリッサを殺したとされ、のちに死者の霊を呼び出す神託所で、裸で寒いと訴える妻の霊のために、コリントスの女たちをヘラの神殿に集め、着ていた晴れ着をすべて脱がせて焼いたという。母の死の真相を知った次男リュコフロンは父と口をきかなくなり、コルキュラ島へ追いやられた。年老いた父が息子を呼び戻して跡を継がせようとしたとき、それを嫌ったコルキュラの人々が息子を殺した。怒ったペリアンドロスは、コルキュラの名家の少年300人を、去勢させるために小アジアのサルディスへ送ったが、途中で寄ったサモス島の人々が少年たちをかくまって救ったという(サモスについてはポリュクラテスのサモス)。

ペリアンドロスは40年ほど治めて、紀元前585年ごろに没した。跡を継いだ甥は数年で殺され、コリントスは少数の有力者が治める国に変わった。
不思議なことに、同じペリアンドロスが、タレスやソロンと並ぶギリシアの七賢人の一人にも数えられている。何事も鍛錬がすべて、という言葉が彼のものとして伝えられ、知恵ある支配者としての顔も語られた。ただ、プラトンは七賢人を挙げるとき、彼の代わりに別の人物を入れている。哲学者アリストテレスは『政治学』で、抜きん出た者を除き、市民の集まりや共同の食事を禁じ、互いに疑わせ、人々を貧しく忙しくさせておく、といった僭主が権力を保つための手立ての多くを、ペリアンドロスが始めたものとして挙げた。権力の技術を冷ややかに分析したニッコロ・マキャヴェッリより、2000年近く前のことである。暴君の手本と賢者。同じ一人に、まるで逆の評判が付けられたところに、僭主という新しい支配者に向けられたギリシア人の複雑なまなざしが表れている。