タレス
概要
世界の成り立ちを神話ではなく、水という一つの原理で説明しようとした。答えは外れているが、そう問うこと自体が始まりになる。
所属
ギリシア諸ポリス関わったできごと(1)
タレスの日食予言BC585年5月28日 · 予言したとされる本文
紀元前624年頃、小アジア西岸のイオニア地方、ミレトスに生まれたとされる。生年も没年も、後世の年代記による推定である。ミレトスは、黒海から地中海まで植民市を広げた豊かな港町で、東のリュディアやメソポタミア、南のエジプトと盛んに行き来していた。ヘロドトスは、タレスの祖先はフェニキア人だったと書いている。

タレス自身の書いたものは、何も残っていない。そもそも何かを書き残したのかどうかも分からない。伝わるのは、アリストテレスやヘロドトスなど、後の時代の人々が書き留めた言葉と逸話だけである。ギリシアの「七賢人」の筆頭に数えられ、記録に残る最初の哲学者とされる。
アリストテレスによれば、タレスは万物の根源は水だと言った。大地は水の上に浮かんでいるとも考えた。地震は、大地を支える水が揺れるために起きるのだという。答えとしては外れている。

大事なのは、そう問うたことのほうである。それまで、なぜ地震が起きるかといえば、海の神ポセイドンが怒って大地を揺らしたからだった。タレスは神の意志を持ち出さず、目に見えるものの成り立ちを、一つの原理から説明しようとした。食べ物はみな湿り気を含み、種も湿っていて、水が無ければ生きものは育たない。アリストテレスは、タレスが水を根源としたのはそうしたことを見ていたからだろうと推測している。弟子とされるアナクシマンドロスは、水ではなく「限りの無いもの」が根源だと言って、師に異を唱えた。弟子が師に反論し、議論で答えを探していくという営みが、ここから始まった。
ただし、タレスが神々を捨てたわけではない。「万物は神々に満ちている」とも語ったと伝えられる。磁石が鉄を引きつけるのを見て、石にも魂があるのだと言ったという。生きているものと生きていないものの境目を、手探りで考えていた。

日食を予言したと伝えられる(タレスの日食予言)。ヘロドトスによれば、リュディアとメディアの戦いのさなか、昼が突然夜になった。タレスはこの日食が起きる年を、前もってイオニアの人々に告げていたという。驚いた両軍は戦いをやめ、和を結んだ。天文学の計算から、これは紀元前585年5月28日の日食だと考えられている。ただ、当時の知識で、特定の場所で日食が見えることまで予言できたかは疑わしい。メソポタミアの観測記録から、日食の起きうる時期を見当づけたのだろうという見方もある。
幾何学の祖ともいわれる。半円の弧の上に取った点と直径の両端を結ぶと、必ず直角になるという定理は、いまも「タレスの定理」と呼ばれる。エジプトを訪れた際には、自分の影が身長と同じ長さになる時刻を待ち、そのときのピラミッドの影の長さを測って、その高さを求めたと伝えられる(ギザの大ピラミッド建設)。海上の船までの距離を、陸から測る方法を考えたとも言われる。こうした話がどこまで本当かは分からないが、具体的な問題を図形の性質から解くという考え方の始まりが、この人に結びつけられてきた。

政治の助言者でもあった。ペルシアの脅威が迫ったとき、イオニアの町々に、一つの評議会を作って一つの国のようにまとまるよう勧めたとヘロドトスは書いている。リュディアの王クロイソスの軍が川を渡れずにいたとき、川の流れを二つに分けて渡らせたという話も伝えられるが、ヘロドトス自身は信じていない。
人柄を伝える逸話が二つある。一つは、星を見上げながら歩いていて井戸に落ち、トラキア生まれの女中に「天のことを知りたがって、足元のことが見えていない」と笑われた、という話。プラトンが伝えるもので、哲学者を笑う話として長く語り継がれた。

もう一つは、それとは逆の話である。貧乏で哲学など何の役にも立たないと馬鹿にされたタレスは、星の観察から翌年のオリーブの大豊作を見越し、冬のうちにミレトスとキオス島の搾油機を安く借り切った。収穫の時期になると、皆が搾油機を求めて殺到し、タレスは思いのままの値で貸して大儲けした。哲学者は金を稼げないのではなく、稼ぐことに関心が無いだけだ、と示したのだという。アリストテレスが伝えている。
最期は、運動競技を見物しているうちに、暑さと渇きと老いのために倒れたと伝えられる。紀元前546年頃とされ、ちょうどそのころ、リュディアはペルシアに滅ぼされている。タレスの後、ミレトスからはアナクシマンドロス、アナクシメネスが出て、世界の成り立ちを問い続けた。ピュタゴラスもその問いを受け継いだ一人である。答えは次々に書き換えられたが、神話に頼らず、理由を問い、議論で確かめるという始め方は、そのまま残った。