パンジャンドラム
概要
第二次世界大戦中にイギリスが試作した、ロケットで車輪を回して走る自走爆弾。実験では暴走を繰り返し、実戦に使われずに終わった。
場所
51.04°N -4.24°E · イギリス・イングランド・デヴォン州
本文
パンジャンドラムは、第二次世界大戦中のイギリスで試作された、ロケットで車輪を回して走る巨大な爆弾である。1943年から翌年にかけてイングランド南西部デヴォンの浜辺で実験が繰り返されたが、まっすぐ走ることすらできず、一度も戦場に出ないまま計画は打ち切られた。
背景には、ヨーロッパ大陸へ攻め戻るという連合国の課題があった。1940年のダンケルクの撤退で大陸を追われたイギリスにとって、海からの上陸は避けて通れない。ところがフランスの海岸には、ヒトラーの命令で「大西洋の壁」と呼ばれる防御線が築かれつつあった。高さ約3メートル、厚さ2メートルを超えるコンクリートの壁を、浜辺で敵の銃火を浴びながら人の手で爆破するのは自殺に近い。上陸用舟艇から送り出し、自分で壁まで走っていく爆弾が求められた。

開発を担ったのは、海軍省の雑兵器開発部(DMWD)である。この部署は奇抜な兵器を次々に試したことで知られ、潜水艦を狙う前投式の爆雷ヘッジホッグのように、大西洋の戦いで実際に役立ったものも生んでいる。計算を受け持った海軍中尉ネヴィル・シュートは、戦車が通れる穴をあけるには1トンを超える爆薬が要ると見積もった。シュートは小説家でもあり、戦後は『渚にて』などで知られることになる。
考え出された形は、爆薬を詰めた鋼の太鼓を、直径約3メートルの木と鋼の車輪2枚で挟んだものだった。車輪の縁に固形燃料のロケットを並べて一斉に点火し、その勢いで車輪を回す。約1.8トンの爆薬を積んで時速100キロ近くで突進し、勢いのまま障害物を乗り越える、という触れ込みだった。名前はシュートが、18世紀の劇作家サミュエル・フットのでたらめな文句に出てくる「偉大なパンジャンドラム(お偉方)」から取った。
試作機はロンドン東部で秘密裏に組み立てられ、夜のうちにデヴォンの浜辺ウェストワード・ホーへ運ばれた。しかしこの浜は行楽客に人気の場所で、1943年9月7日の最初の実験から、毎回大勢の見物人が見守ることになった。最初は爆薬の代わりに砂を積み、ロケットも少なめにして走らせた。舟艇から飛び出して浜を駆け上がったが、右の車輪のロケットがいくつか止まって進路がそれた。ロケットを増やしても、毎回浜の端に着く前に制御を失った。
改良は続いた。ロケットを70本以上に増やし、安定のために3枚目の車輪を付けると、今度は浜をかすめて海へ引き返し、外れたロケットが観衆の頭上を飛び回った。3枚目の車輪を外し、鋼のワイヤーで舵を取ろうとすると、勢いが強すぎてワイヤーがちぎれ、浜を鞭のように打った。砂の上では車輪が空回りしやすく、まっすぐ走らせる仕組みも無いという、形そのものの弱点があった。そのうち、敵のおおよその方向へ走れば十分だという指示まで出た。
最後の公開実験は1944年1月、海軍の幹部や科学者、記録係のカメラマンの前で行われた。はじめは順調に海から浜へ向かったが、留め金が外れてロケットが次々に飛び、パンジャンドラムは大きく傾いて向きを変えた。生きたロケットをまき散らしながらカメラマンのほうへ突進し、高官たちは小石の土手の陰の有刺鉄線の中へ飛び込んだ。最後は砂の上で倒れ、激しい爆発とともにばらばらになった。計画はほどなく打ち切られた。
1944年6月の連合軍のノルマンディー上陸に、パンジャンドラムは使われなかった。後になって、これはドイツ軍に別の海岸への上陸を思わせるための偽装工作の一部だったのではないか、という説も唱えられたが、裏付けは乏しい。2009年には上陸65周年を記念して、同じ浜で花火を積んだ複製が走らされたが、まっすぐ進んだのは50メートルほどだった。日本ではいつしか、奇抜なイギリスの兵器の代表として知られるようになっている。