できごと

大原騒動

Ohara Disturbance
1771年 – 1789年
期間を持つできごと重要度 2
ロシア帝国清スペイン帝国中央アジアの諸ハン国チベットAvaシャン諸邦日本大越大越朝鮮王朝ラオスの諸国フィリピンカンボジアLan Naアイヌモシリアラカン藩王国1771年高山陣屋(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている1771年の版図を描いています(17勢力)。

概要

1771〜89年、幕府領の飛騨で代官大原紹正・正純父子の苛政に対し続いた百姓一揆。最後は郡代の不正が裁かれ、正純は流罪となった。

場所

高山陣屋位置は特定されていない(誤差 ±km)
36.14°N 137.26°E · 岐阜県高山市

関わった人(1)

松平定信AD1759年1月15日–AD1829年6月14日 · 老中として駕籠訴を受け、郡代の不正を裁かせる

本文

大原騒動は、江戸時代の中ごろ、幕府の直轄地だった飛騨国(いまの岐阜県北部)で起きた大きな百姓一揆である。1771年(明和8年)から1789年(寛政元年)まで、20年近くにわたって断続的に続いた。明和騒動・安永騒動・天明騒動の3つに分けられるが、そのとき飛騨を治めていた代官(のち郡代)大原紹正とその子正純の名をとって、大原騒動と総称される。

飛騨は山がちで米のとれにくい土地で、1692年に幕府の直轄地となってからは、高山の陣屋に置かれた代官が治めていた。山に住む人々の暮らしを支えていたのは、幕府の御用材を山から切り出す仕事だった。1765年に代官となった大原紹正は、御用金の借り上げや新しい取り決めで、取り立てを強めていった。

松平定信の肖像
松平定信Wikimedia Commons 松平定信(自画像) · Public domain

最初の明和騒動の発端は、御用材の切り出しをやめるという命令だった。山の村々にとっては生きるか死ぬかの問題で、総代が切り出しの続行を求めて江戸まで嘆願に出た。そこへ、いったん取りやめになった年貢米の江戸納めを、一部の町人が改めて願い出たという噂が広がった。1771年12月、代官の新しい取り決めを話し合うため飛騨国分寺に村々の人々が集まったとき、江戸から戻った総代が噂は本当だと告げ、怒った群衆は代官に協力した町人の家や蔵を打ち壊した。大原は鎮圧して54人を投獄し、総代の一人を死罪にしたが、労役の取りやめや山方への救い米も認めた。

2つ目の安永騒動は、さらに大きくなった。1773年、大原は新しく開いた田だけを測るという約束で検地を始めたが、実際には古い田畑まで厳しく測り直して年貢を増やした。村々の請願は退けられ、8人の代表が江戸へ向かって老中の行列に駕籠訴をした。訴状は老中の手に渡ったが、8人は牢で死ぬか死罪となった。江戸へ発つ前、彼らと村々は、残された家族の面倒を村全体で見るという証文を交わしていたという。代官への信頼を失った百姓たちは集会を重ね、一揆は白川郷を除く飛騨全体に広がった。幕府は近隣の5つの藩に命じて約2000人の兵を出させ、これを鎮めた。百姓側には49人の死者が出て、300人以上が捕らえられた。

1774年12月、判決が下った。飛騨一宮水無神社の神主ら4人が磔、本郷村の善九郎ら7人が獄門となり、ほかにも打ち首、牢死、遠島、追放など多くの者が罰せられた。一揆の中心にいた善九郎はまだ若者だったと地元では語り継がれている。大原紹正は功を認められて郡代に昇進したが、その後、妻が自害し、自身も目を病んで失明し、ほどなく急死した。

3つ目の天明騒動は、跡を継いだ子の大原正純の不正をめぐるものだった。正純は百姓に返すべき金を返さず、村々から多額の金を借り上げ、さらに天明の飢饉に際して幕府が百姓に戻した金まで取り上げたとされる。今度は百姓だけでなく、役人や名主までが不信を募らせ、職を追われた役人らが江戸の老中に密かに訴えを繰り返した。田沼意次が退き、松平定信の寛政の改革が始まったころである。1789年5月、巡見使への訴えに続いて、老中定信への駕籠訴が行われた。

天明の飢饉に関わる図版:Great Tenmei Famine Map Artwork
天明の飢饉Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

幕府は役人を高山に送って調べを進め、正純を江戸へ呼び出して百姓の代表と白洲で対決させた。1789年12月、判決が下り、正純は八丈島へ流され、加担した役人の筆頭は打ち首となった。百姓の側も駕籠訴をした者は死罪となったが、ほかは比較的軽い罰で済んだ。多くの命と引き換えに、百姓たちは20年近い抵抗の末に代官の不正を幕府に認めさせたのである。大原騒動は、それより少し前に美濃の郡上で起きた郡上一揆と並んで、江戸時代中期の代表的な一揆に数えられる。騒動の舞台となった高山陣屋は、当時の建物が残る唯一の郡代・代官所として、いまも公開されている。

動画(1)

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