概要
ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂。徴税人マタイが、仲間と金を数えている酒場のような暗い部屋に、右から光が差し込み、キリストが指を伸ばす。マタイが「私か」という顔で自分を指す。人物は当時のローマの街の人の服を着ている。聖なるものを、汚れた場所の中に置いた。彼自身は、喧嘩で人を殺して逃亡し、38歳で海岸で死んだ。ベラスケスとレンブラントとラ・トゥールが、この光を受け継いだ。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
カラヴァッジョAD1571年9月29日–AD1610年7月18日 · 描いた本文
1599年、ローマ。サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂(在ローマのフランス人の教会)のコンタレッリ礼拝堂。枢機卿マテュー・コアントレルの遺言で、聖マタイの生涯を描くことが決まっていて、20年以上、進んでいなかった。カラヴァッジョが、初めての公開の大作の注文を受けた。28歳。
『聖マタイの召命』(左壁)。3.2×3.4メートル。
場面。マタイ福音書9章9節。「イエスはそこを立ち去り、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見て、『私に従いなさい』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った」。
絵。暗い部屋。右手前に、キリスト(後ろ姿に近く、顔は半分だけ光を受ける)と、ペテロ。キリストが右手を伸ばして、指を差している。その手の形は、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂『アダムの創造』の、神の手の形をそのまま裏返したもの。
左に、テーブルを囲む5人。当時のローマの街の若者の服(羽根つきの帽子、ふくらんだ袖、剣)。金を数えている。二人は下を向いたまま、金から目を離さない。
一人が、顔を上げて、こちらを見ている。そして、指を自分に向けている。「私か」。
——ただし、その指が、本当に自分を指しているのか、隣のうつむいた男を指しているのか、400年、議論されている。髭の男がマタイだ、という読み(伝統的)と、うつむいて金を数えている若者がマタイで、髭の男は「こいつのことか」と隣を指している、という読み(20世紀後半から)。
光。右上から、斜めに差し込む。窓は描かれているが、汚れた油紙が張られていて、そこからは光が来ていない。光は、キリストの背後の、画面の外から来る。
意味。聖なるものは、教会の中や、金の背景の中でなく、酒場のような部屋の、金を数えている人たちの中に来る。呼ばれるのは、聖人らしい人ではない。
技法。「テネブリズム」。闇を背景にして、光の当たった部分だけを浮かび上がらせる。彼は下絵を描かず、モデルを直接カンヴァスに写した(X線調査で、下描きの線がなく、位置を決めるための引っ掻き傷だけが見つかる)。
同じ礼拝堂の右壁が『聖マタイの殉教』、正面が『聖マタイと天使』。最初に描いた正面の絵は、マタイが無骨な農夫のようで、天使が手を取って字を書かせている姿だったので、拒否された(別の人が買い取り、1945年、ベルリンの空襲で焼けた)。描き直した2作目が、いまある。
彼の生涯。1571年、ミラノ。6歳でペストで父と祖父を失った。13歳でミラノの画家に弟子入り。20歳頃、ローマへ。初めは他人の絵の花と果物の部分だけを描く仕事。1595年頃、枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテに見出され、その館に住んだ。
警察の記録に何度も出てくる。剣を無許可で携帯、給仕にアーティチョークの皿を投げつける、大家の窓に石、公証人に暴行、名誉毀損の裁判。
1606年5月28日、テニスコートでの賭けの争いから、ラヌッチョ・トマッソーニを殺した(性器を狙って刺した、という証言がある。女をめぐる決闘だったという説)。死刑(バンド・カピターレ。誰でも彼を殺してよい、という布告)を宣告され、ローマから逃げた。
ナポリ、マルタ(騎士に叙され、また喧嘩で投獄され、脱獄し、除名された)、シチリア、ナポリ(宿の前で襲われ、顔に重傷)。逃げながら、描き続けた。晩年の絵は、さらに暗く、筆が速い。
1610年7月、赦免の知らせが出そうだという報せを受けて、ローマへ向かう船に乗った。トスカーナ海岸のポルト・エルコレで、荷物を積んだ船と行き違いになり、追いかけて、熱を出して死んだ。7月18日。38歳。遺体の場所は分からない(2010年、ポルト・エルコレの遺骨の一つが彼のものである可能性が高い、と報じられた)。
死後、忘れられた。17〜18世紀の批評は「デッサンができず、自然を模写するだけの男」と書いた。20世紀初め、ロベルト・ロンギが再評価した。いま、彼の絵の前には人だかりができる。