『ハムレット』

概要
迷い、考えすぎ、動けない主人公。英語という言語がこの一群の戯曲で大きく増える。
場所
52.19°N -1.71°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
ウィリアム・シェイクスピアAD1564年–AD1616年4月23日 · 作者本文
デンマークの王子ハムレットの父である先王が急死し、叔父のクローディアスが王位に就いて、王妃である母と結婚する。ある夜、城壁に現れた父の亡霊が、自分は弟に毒を盛られて殺されたと告げ、復讐を命じる。筋だけを取り出せば、これは古くからある復讐の物語である。
話の元は古い。1200年前後にデンマークの歴史家サクソ・グラマティクスが書いた年代記に、父の仇を討つためにわざと愚か者を装う王子アムレートの話がある。16世紀にはフランス語の物語集に取り込まれ、ロンドンでもシェイクスピアより前に『ハムレット』という芝居が上演されていたことが知られている。この古い芝居は台本が残っておらず、作者はトマス・キッドだとする説があるが、確かではない。

当時のロンドンでは復讐劇が流行していた。キッドの『スペインの悲劇』がその代表で、主人公は苦しみながらも、筋に沿って仇を追い詰めていく。ウィリアム・シェイクスピアが書いた『ハムレット』の主人公は、そうはしなかった。亡霊の言葉は本当なのか、悪魔が自分をそそのかしているのではないか。旅の役者たちに父の殺害に似た芝居を演じさせ、叔父の顔色をうかがって確かめようとする。祈っている叔父を見つけても、いま殺せば魂が天国へ行ってしまうと考えて剣を収める。迷い、考え、先へ延ばす。そのあいだに、恋人オフィーリアの父ポローニアスを誤って刺し殺し、オフィーリアは正気を失って水死する。
「生きるべきか、死ぬべきか」で始まる独白は、筋を少しも先へ進めない。王子がひとりで、生きることと死ぬことの意味を考えるだけである。それでもこの場面は、劇のなかで最もよく知られた場面になった。登場人物の頭の中で起きていることを、そのまま舞台に出す。独白はそれまでの芝居にもあったが、ここまで長く、ここまで行動から切り離されたものは珍しかった。

書かれたのは1599年から1602年ごろとされる。同じ1599年、シェイクスピアの劇団はテムズ川の南岸にグローブ座を建てており、王子を演じたのは劇団の看板役者リチャード・バーベッジだったと考えられている。シェイクスピアには1596年に11歳で亡くした息子ハムネットがいて、名前の近さから作品との結びつきを論じる人もいるが、当時はこの二つの名は同じ名の書き方の違いとされることもあり、どこまで関係があるかは分からない。
この劇には、台詞の異なる三つの版がある。1603年に出た最初の四つ折り本は短く、言い回しも崩れていて、役者の記憶から起こした海賊版ではないかとも言われる。翌年から出た二つ目の四つ折り本は最も長く、作者の原稿に近いとされる。シェイクスピアの死後の1623年に仲間の役者たちがまとめた作品集(最初の二つ折り本)の版は、上演に合わせて削ったように見える箇所がある。いま読まれている本の多くは、これらを編者が組み合わせたもので、すべてを上演すると4時間を超える。どれが「本当の」ハムレットかは決められない。

シェイクスピアの作品は、英語そのものにも跡を残した。書き言葉で彼の作品が初出とされる語は1700前後にのぼるとされる。もっとも、その多くは当時すでに話し言葉で使われていたものを、最も早く書き残したにすぎないとも考えられている。それでも、この劇から生まれて日常の言い回しになった句は少なくない。
ハムレットという人物の謎は、時代ごとに違う答えを引き出してきた。18世紀末のゲーテは、大きな使命を負わされた繊細な魂の悲劇として読んだ。20世紀に入ると、精神分析の側から、父を殺して母を奪った叔父に自分の隠れた願望を見るために手が出せないのだ、という読み方も出た。日本では明治の末に坪内逍遥が訳し、上演も行われている。

『ハムレット』に続いて『オセロー』『リア王』、そしてシェイクスピア『マクベス』が書かれ、あわせて四大悲劇と呼ばれる。喜劇のシェイクスピア『ヴェニスの商人』を書いた劇作家は、ここから人の内側の暗がりへ向かっていった。初演から400年あまり、この劇は世界のどこかで上演され続けている。