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Event / できごと

ベルティヨンの人体測定法

Bertillonage
AD1883年
重要度 4
AD1883年パリ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 場所と年から描いた図を置いています。

概要

常習犯を見分けたい。名前は偽れる。顔も変わる。パリ警視庁の書記アルフォンス・ベルティヨンは、成人の骨格は変わらないという前提で、身長、頭の長さと幅、中指の長さ、左足の長さ、前腕、耳の形など11項目を測り、カードに記録した。正面と横顔の写真を規格化して添えた(現在の顔写真の形式はここから来る)。導入の翌年、241人の再犯者を特定した。世界中の警察が採用し、そして1903年、測定値がほぼ同じ別人が現れて、崩れた。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

関わった人(1)

アルフォンス・ベルティヨンAD1853年4月22日–AD1914年2月13日 · 考えた

本文

**問題**。

19世紀の警察が抱えていた困りごと。

**常習犯を、どうやって見分けるか**。

当時のフランスの法は、再犯者に重い刑を科した(1885年の法は、常習犯を**流刑地への終身流刑**にすると定めた)。

しかし、逮捕された者が「初犯です」と言えば、それを覆す手段がない。

- **名前**——偽名を使う。フランスの前科記録は、**名前のアルファベット順**に並べられていた。名を変えれば、検索できない。 - **顔**——警察は写真を撮っていた。1870年代のパリ警視庁には、**数万枚**の写真があった。しかし、それを**探す方法がない**。数万枚を一枚ずつ見比べるしかない。 - **刺青と傷跡**——記録していたが、消せる。

**アルフォンス・ベルティヨン**。

1853年、パリ生まれ。父ルイ=アドルフ・ベルティヨンは、医師で統計学者で、**パリ人類学会**の創設者の一人。祖父も博物学者。

家庭は、学問の家である。

**しかし、彼は学校で失敗し続けた**。

いくつもの学校を放校になった。イギリスへやられ、そこでも続かなかった。医学を志して、続かなかった。軍隊に入った。

1879年、**26歳**。父の伝手で、**パリ警視庁の最下級の書記**の職を得た。

仕事は、前科者の記録カードを、**書き写すこと**。

給料は乏しく、彼は肉体的にも弱く(鼻血と、頭痛と、消化不良に苦しんだ)、同僚から変人と見られていた。

**着想**。

彼は、写し続けているカードを見ていた。

「身長:中背。髪:茶色。目:茶色。鼻:普通」。

**役に立たない**。

彼が育った家では、人体測定が日常だった。父と祖父は、人類学の研究として、人体の各部を測っていた。

そして、ベルギーの統計学者**ケトレー**の考えが、家の書棚にあった。人間の身体の各部の寸法は、平均のまわりに正規分布する。

彼は考えた。

**成人の骨格の寸法は、変わらない**。そして、**複数の寸法を組み合わせれば、一致する確率は急速に小さくなる**。

一つの項目で「大・中・小」の3段階に分ければ、3通り。 11の項目なら、3の11乗 = **17万7147通り**。

**測る**。

彼が採用した項目(最終的に11)。

1. 身長 2. 両腕を広げた長さ(リーチ) 3. 座高 4. 頭の長さ 5. 頭の幅 6. 右耳の長さ 7. 右耳の幅 8. 左足の長さ 9. 左中指の長さ 10. 左小指の長さ 11. 左前腕の長さ

(左側を測るのは、多くの人が右利きで、右側は労働で変形している可能性があるため。)

加えて、**目の虹彩の色**(7段階)、そして**特徴の記述**(傷、刺青、ほくろの位置)。

**分類**。

これが、彼の本当の発明である。

測るだけでは意味がない。**カードを、探せる形に並べる**必要がある。

彼は、カード棚を階層的に分けた。

まず頭の長さで3つに(大・中・小)。その各々を頭の幅で3つに。その各々を中指の長さで3つに……。

こうして、**数万枚のカードが、数分で絞り込める**。

**写真**。

彼は、撮影も規格化した。

- **正面と、右横顔**の2枚 - 決められた距離(レンズから2m)、決められた焦点距離、決められた照明 - 座る椅子と、頭を固定する器具 - 縮尺は**実物の1/7**に統一

これが、いわゆる「**マグショット**」の起源である。現在も、ほぼこの形式が使われている。

**採用**。

彼は、上司に提案した。**却下された**。

何度も出した。却下され続けた。「書記の分際で」と一蹴された。

(彼の父が警視総監に働きかけた、という話がある。)

1882年、ようやく**3か月の試験**が認められた。

期間内に成果が出なければ、打ち切り。彼は必死に測った。

**1883年2月20日**、最初の成功。

ある窃盗犯の測定値が、既存のカードと一致した。彼は「デュポン」と名乗っていたが、実は数か月前に別名で捕まった「マルタン」だった。

その年、彼は**49人**の再犯者を特定した。翌1884年、**241人**。

**世界へ**。

- 1888年、パリ警視庁に「司法身元確認課」が設置され、彼が課長になった。 - ベルギー、スイス、ロシア、アメリカ、イギリス、そして日本。1890年代には、世界中の主要な警察が採用した。 - **ベルティヨナージュ**という語が、そのまま制度の名になった。

**彼の他の仕事**。

- **犯行現場の写真**の規格化。三脚を高く立てて真上から撮り、縮尺を入れる。現在の鑑識写真の原型。 - **合成写真**による人相の記録(後の似顔絵の体系化)。 - **足跡の型取り**、**筆跡鑑定**。

**崩壊**。

**1903年、レブンワース刑務所(アメリカ、カンザス州)**。

**ウィル・ウェスト**という男が収監された。測定したところ、既に同じ刑務所に**ウィリアム・ウェスト**という受刑者がおり、その測定値が**ほとんど一致した**。

顔もよく似ていた。

二人は別人である(後に、一卵性双生児だった可能性が高いとされる)。

ただし、**指紋は明確に違った**。

(この事件の詳細には、後の脚色と誇張が混じっていることが指摘されている。しかし、ベルティヨン式の限界を示す例として、決定的な効果を持った。)

**指紋へ**。

問題は、他にもあった。

- **測定に技術が要る**。訓練された係官が、正確に測らねばならない。誤差が大きいと、検索できない。 - **時間がかかる**(一人に十数分)。 - **子どもと少年には使えない**(骨格が成長する)。 - **現場に残らない**。犯人の身体を測るには、まず捕まえなければならない。

**指紋**には、これらの問題がない。誰でも採れる。変わらない。そして——**現場に残る**。

1901年、ロンドン警視庁が指紋方式に切り替えた。1903年、ニューヨーク州。1914年、フランス。

**ドレフュス事件**。

ベルティヨンの評判に、決定的な傷を付けたのは、これである。

1894年、フランス陸軍のユダヤ系将校**アルフレド・ドレフュス**が、ドイツへの機密漏洩の嫌疑をかけられた。

証拠は、ドイツ大使館から回収された**明細書(ボルドロー)**の筆跡だけである。

筆跡の専門家ではないベルティヨンが、鑑定人として呼ばれた。

彼が提出した鑑定は、**異様なもの**だった。

彼は、ドレフュスの筆跡と明細書の筆跡が**違う**ことを認めた上で、こう論じた。

**ドレフュスは、自分の筆跡を偽装するために、自分の筆跡を模倣した**。だから、「わざと違えている」ことが、かえって証拠である。

彼は、幾何学的な図表と、複雑な確率の計算を持ち出して、これを「科学的に」証明しようとした。

(後に、数学者アンリ・ポアンカレを含む3人の科学者が検証を行い、彼の論証を「**まったくの誤りであり、いかなる科学的価値もない**」と断じた。)

軍法会議は、この「科学的鑑定」を信じた。ドレフュスは有罪となり、悪魔島へ流された。

彼は、1906年に無罪となる。12年後である。

ベルティヨンは、死ぬまで、自分の鑑定を撤回しなかった。

**1914年2月13日**、悪性貧血で死んだ。60歳。

(彼の死の直前、ドレフュス事件の再審で名誉回復した人々から、彼への謝罪の要求が続いていた。彼は応じなかった。)

**残ったもの**。

彼の測定法は、10年で捨てられた。

しかし、彼が作った枠組み——**規格化された写真**、**体系的な記録カード**、**検索できる分類**、**現場の科学的な記録**——は、そのまま現代の警察に残っている。

そして、それは同時に、**国家が個人を、名前ではなく身体で識別する**という技術の始まりでもあった。

パスポートの写真も、免許証も、そして生体認証も、その延長にある。

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