概要
ネッド・ケリーは、ヴィクトリアの貧しいアイルランド系の家に生まれ、警官との争いから仲間と山に籠もって、銀行を襲い警官を殺した。1880年6月28日、グレンローワンの宿で警察に囲まれたケリーは、鋤の鉄を打ち出して作った鎧と兜を着て現れ、脚を撃たれて捕らえられる。11月、メルボルンで絞首刑になった。ただの無法者か、貧しい入植者を踏みつけた警察と地主に立ち向かった者か。評価はいまも割れ、鉄の兜はオーストラリアの絵と映画に繰り返し描かれてきた。
場所
-36.46°N 146.22°E · オーストラリア・ヴィクトリア州
本文
エドワード・ケリー、ネッドは1854年ごろ、ヴィクトリア植民地で生まれた。父はアイルランドから流刑で送られてきた人で、家は小さな土地を借りて暮らす貧しい入植者だった。大きな牧場主と、彼らの側に立つ警察との争いは、この地方のアイルランド系の人々の日常だった。ネッドは少年のころから、馬泥棒などの疑いで何度も捕まっている。
1878年、ケリーの家で警官が撃たれたとされる事件をきっかけに、母が投獄され、ネッドと弟は山に逃げた。10月、ストリンギーバーク・クリークで追ってきた警官隊と撃ち合い、三人を殺す。仲間二人と合わせた四人組、ケリー・ギャングは賞金首になった。彼らは町の銀行を二度襲い、人質を丁寧に扱って、住民に酒をふるまった。ネッドは、自分たちを追い詰めた警察と地主の不正を訴える長い手紙も書いている。
1880年6月、一味はグレンローワンの宿に町の人々を集めて立てこもり、警察の特別列車を脱線させて待ち伏せようとした。計画は漏れ、宿は包囲される。28日の夜明け、霧の中から、鋤の刃の鉄を打ち出して作った重い鎧と、目の細いすき間だけのある兜を着けたネッドが現れた。弾は鎧にはじかれたが、覆われていない脚を撃たれて倒れた。仲間は宿の中で死に、宿は焼かれた。
11月11日、ネッドはメルボルンの監獄で絞首刑になった。最期の言葉は「人生とはこんなものさ」だったと伝えられる。刑の前には、助命を求める三万人を超える署名が集まった。彼を英雄と見るか、警官殺しの無法者と見るかは、いまも人によって分かれる。鎧の兜は、画家シドニー・ノーランの連作をはじめ、オーストラリアを表す姿の一つになった。