ナバホ・コードトーカー
概要
第二次世界大戦の太平洋の戦場で、アメリカ海兵隊はナバホ語をもとにした暗号を使った。ナバホの通信兵が送ったこの暗号は、最後まで解読されなかった。
場所
35.47°N -108.54°E · アメリカ・ニューメキシコ州
本文
戦場の無線は敵にも聞こえる。だから命令は暗号にして送るが、暗号機で組み立て、受け取った側でほどくには時間がかかる。速くて、しかも敵に読めない通信の方法はないか。第二次世界大戦のアメリカ海兵隊が見つけた答えの一つが、アメリカ先住民ナバホの言葉だった。
先住民の言葉を通信に使う試みは、それより前からあった。第一次世界大戦の末期、アメリカ陸軍はチェロキーやチョクトーの兵士に母語で通信させ、ドイツ軍に内容をつかませなかった。

ナバホ語を海兵隊に勧めたのは、ロサンゼルス市の技師フィリップ・ジョンストンである。宣教師の子としてナバホの居留地で育った彼は、ナバホ語を少し話すことができ、第一次世界大戦にも従軍していた。ナバホ語は文法も発音も複雑で、近い仲間の言葉とも通じ合わない。当時はまだ文字に書かれることもなく、ナバホ以外でこの言葉を理解できる人は、一説には30人もいなかったという。
真珠湾攻撃のあと、1942年の初め、ジョンストンは海兵隊の将軍の前で実演をしてみせた。ナバホの男たちは3行の伝文を20秒で送り、ほどいてみせた。当時の機械では30分かかる作業だった。海兵隊は試しに一小隊ぶんを集めることにし、1942年5月4日、ニューメキシコ州のフォート・ウィンゲートで、29人のナバホの若者が海兵隊員として宣誓した。彼らは第382小隊となり、のちに「最初の29人」と呼ばれる。最年少は年齢を偽って入隊した15歳、最年長は35歳だった。

29人は訓練のかたわら、カリフォルニアのキャンプ・ペンドルトンで暗号そのものを作り上げた。仕組みは二つある。一つは、英語のアルファベットの一文字ずつに、ナバホ語の単語を割り当てるものである。もう一つは、ナバホ語に無い軍事用語に、たとえの言葉を当てるものだった。潜水艦は鉄の魚、駆逐艦は鮫、爆撃機はノスリと呼ばれた。暗号の手引きは教室の中でしか使わず、戦場には持ち出さなかった。通信兵は全部を頭に入れ、砲火の下でも素早く使えるよう訓練を重ねた。訓練を受けていないナバホが聞いても、ばらばらの単語が並んでいるようにしか聞こえなかった。
ナバホの通信兵は、ガダルカナルの戦いをはじめ、太平洋の島々の戦いで海兵隊の6個師団すべてに配属され、その数は数百人に及んだ。硫黄島の戦いでは、第5海兵師団の通信将校ハワード・コナー少佐のもとで、6人のナバホが最初の2日間、昼も夜もなく通信にあたり、800通を超える伝文を一つの誤りもなく送り、受け取った。コナーはのちに、ナバホがいなければ海兵隊は硫黄島を取れなかっただろうと語っている。

前線では危うい目にもあった。顔立ちから日本兵と間違えられ、味方に捕らえられることがあったため、護衛がつけられた者もいた。日本軍は無線を傍受していたが、ナバホの暗号を解くことはできなかった。
戦争が終わっても、彼らの働きは長く語られなかった。暗号は再び使われる可能性があるとして、1968年まで機密とされたからである。故郷に帰ったナバホの兵士の多くは、家族にも自分の任務を話さなかった。皮肉なことに、彼らの多くは子どもの頃、寄宿学校でナバホ語を話すと罰を受けた世代だった。国が消そうとした言葉が、戦争で国を助けたのである。
機密が解かれると、彼らの功績はしだいに知られるようになった。2001年、アメリカ議会は最初の29人に議会名誉黄金勲章を、そのあとに続いた通信兵に銀の勲章を贈った。2002年には、彼らを描いた映画『ウインドトーカーズ』が公開された。最初の29人の最後の一人だったチェスター・ネズは、2014年に亡くなった。
ヨーロッパでも、陸軍はコマンチの兵士を通信に使い、1944年のノルマンディー上陸作戦にも加わらせている。しかし「コードトーカー」という言葉がまず思い起こさせるのは、太平洋で戦ったナバホの兵士たちである。ナバホの暗号は、話し言葉を使った軍の暗号のなかで、ついに解読されなかったただ一つのものとされている。