『歴史序説』

概要
王朝の興亡を連帯意識の盛衰で説明した。社会を法則で捉える試みとして、群を抜いて早い。
場所
16.77°N -3.01°E · マリ
関わった人(1)
イブン・ハルドゥーンAD1332年–AD1406年 · 著者本文
1377年、北アフリカの内陸、今のアルジェリアの高原にある小さな城で、一人の男が5か月ほどで一冊の書を書き上げた。世界の歴史を書こうとした大著『イバルの書』の、その最初に置く「序説」である。本体の年代記はやがて読まれなくなったが、序説だけは独立した書物として生き残り、『歴史序説(ムカッディマ)』の名で世界中で読まれ続けている。著者はイブン・ハルドゥーン。なぜ王朝は興り、そして必ず滅ぶのか、という問いに、出来事の羅列ではなく、繰り返される仕組みで答えようとした書だった。
イブン・ハルドゥーンは1332年、北アフリカのチュニスに生まれた。一族はもともとイベリア半島のセビーリャの名家で、キリスト教徒の攻勢を逃れて海を渡ってきた。若いころから法学や文学の教育を受けたが、17歳のとき、北アフリカを襲った疫病で両親と多くの師を一度に失った。ヨーロッパで黒死病と呼ばれた同じ流行である。のちに彼は序説の中で、この疫病が国々を荒廃させ、文明を縮ませたと書いている。

成人した彼は、北アフリカとイベリア半島の小さな王朝のあいだを渡り歩く官僚になった。モロッコのフェスの宮廷で書記を務め、陰謀の疑いで2年近く投獄された。グラナダの宮廷にも仕え、1364年にはカスティーリャ王への使節として、祖先の町セビーリャを訪れている。チュニジアやアルジェリアの宮廷でも宰相や侍従を務めた。だが、仕えた主君が倒され、仕える先を替え、また政変に巻き込まれる、ということの繰り返しだった。政治の頂点と転落を、彼は内側から何度も味わった。
40代に入った1375年、疲れ果てた彼は政治を離れ、遊牧の部族の庇護を受けて、イブン・サラーマの城と呼ばれる人里離れた城に家族と移り住んだ。そこで約4年を過ごし、その静けさの中で序説を書いた。手元に十分な書物がないまま、記憶と経験を頼りに書いたとされる。

序説はまず、それまでの歴史家への批判から始まる。歴史家たちは、言い伝えをそのまま書き写すから誤る。たとえば、古代のイスラエルの軍勢が60万人いたという話は、当時の国土と人口から考えてありえない。ある出来事が起きたかどうかを判断するには、その時代の社会がどういう仕組みで動いていたかを知らなければならない。彼はこうして、歴史を正しく書くための前提として、人間の社会そのものを研究する学問を打ち立てようとした。自ら「文明(ウムラーン)の学」と呼んでいる。
その中心にあるのが「アサビーヤ」という考えである。集団を結びつける連帯の意識、仲間のために命を張る結束の強さを指す。砂漠や山地で暮らす遊牧の民は、厳しい環境の中で互いに頼り合うしかなく、アサビーヤが強い。彼らは質素で勇敢だが、豊かではない。一方、都市の人々は富と技術と学問を持つが、贅沢に慣れ、城壁と傭兵に守られて、自ら戦う意志を失っている。
強いアサビーヤを持つ集団は、やがて都市を征服して王朝を立てる。だが、王朝を立てた瞬間から衰えが始まる。初代は仲間とともに苦労を知っている。二代目は父の姿を見て育つが、権力を一人に集め、仲間を遠ざけ始める。三代目、四代目になると、生まれたときから宮殿の贅沢の中にいて、祖先がなぜ勝てたのかを忘れる。支配者は仲間の代わりに金で雇った兵に頼り、その金をまかなうために税を重くし、民は疲れ果てる。そこへ、外から新しいアサビーヤを持つ集団が現れ、王朝を倒す。王朝の寿命はおよそ三世代、120年ほどだと彼は見積もった。
この見方は、彼が生きた北アフリカの現実から引き出されたものだった。そこでは、ムラービト朝やムワッヒド朝のように、砂漠や山地の部族の結束から生まれた王朝が、都市を征服しては数世代で衰え、次の部族に取って代わられることが繰り返されてきた。彼自身が仕えた王朝も、その渦の中にあった。
序説が扱う範囲は、王朝の興亡にとどまらない。気候と土地が人の気質に与える影響、都市の成り立ち、職業と技術、学問の分類、教育の方法まで論じている。経済についての洞察もよく知られる。王朝の初めには税率が低くても、人々がよく働くので税収は多い。王朝の末期には税率を上げても、働く意欲が失われて税収はかえって減る。労働こそが富の源であり、分業が生産を高めるという考えも見える。のちの『国富論』よりも4世紀早い。

序説を書き上げたあと、彼は再び世の中に戻った。1382年にはエジプトのカイロへ移り、マムルーク朝のもとで学院で教え、マーリク派の法の最高裁判官に何度も任じられた。家族を呼び寄せようとしたが、乗った船が嵐で沈み、妻子を失っている。
晩年の彼は、もう一つの劇的な場面に立ち会った。1401年、中央アジアから攻め上ってきたティムールの軍が、シリアのダマスクスを囲んだ(ティムール帝国の拡大)。エジプトの軍とともに来ていたイブン・ハルドゥーンは、城壁から綱で吊り降ろされてティムールの陣営を訪れ、何度も会見した。征服者は北アフリカの地理を詳しく尋ね、彼に書いてまとめさせた。彼はこの会見の様子を自伝に書き残しており、ティムールを、知性と探究心に富み、議論を好む人物として描いている。1406年、彼はカイロで世を去った。
序説は、イスラーム世界では後継者をあまり生まなかった。広く読まれるようになるのは、17世紀以降のオスマン帝国の知識人たち、そして19世紀にフランス語などに訳されてからである。西洋の学者たちは、社会を法則で捉えようとするその姿勢に驚き、社会学や歴史哲学の先駆けとして称えた。20世紀イギリスの歴史家トインビーは、これを同種の作品の中でかつてない最も偉大なものと評している。
連帯から生まれた力が、豊かさの中で緩み、やがて新しい連帯に倒される。その図式は単純すぎるとも、遊牧と都市が向き合う北アフリカの事情に縛られているとも批判される。それでも、栄えた国がなぜ内側から弱っていくのかを考えるとき、600年以上前に政治の渦中を生き抜いた一人の官僚の言葉は、いまも読み返されている。この書をめぐる物語は物語「『歴史序説』で読む王朝の寿命」で、より詳しくたどることができる。