できごと

トランプの伝播

The spread of playing cards
AD1370年頃
重要度 4
シベリアの諸集団バントゥー系の人びとキプチャク汗国西アフリカの穀作農民チャガタイ汗国リャザン公国マムルーク朝マリ帝国ヒンドゥーの小王国群神聖ローマ帝国デリー・スルタン朝リトアニア大公国ハフス朝ティムール朝エチオピア帝国ポーランド王国フランス王国English territoryセルジューク朝マクリアカスティーリャ王国カネム=ボルヌハンガリー王国ハドラマウトKashmir and LadakhモロッコTeutonic Knights東ローマ帝国イエメンアラゴン王国アルワブルガール可汗国デンマークマスカットシチリア王国ポルトガルRaškaスコットランドベナンオスマン帝国ヴェネツィア共和国AD1370年頃カイロ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1370年頃の版図を描いています(41勢力)。

概要

中国の紙の札が起源とされる。マムルーク朝エジプトの札が、現存する最古のまとまった一組で(トプカプ宮殿蔵)、剣・棒・杯・貨幣の4組に、王と副官と第二副官の絵札が付く。人物は描かれない。偶像を禁じる規範による。これがイタリアとスペインへ渡り、4組の記号がそれぞれの土地で変わった。フランスがハート・スペード・ダイヤ・クラブに単純化し、型紙で刷れるようにしたので、安く大量に作れた。それが英語圏へ渡り、いまの標準になった。

場所

カイロ
30.04°N 31.24°E · エジプト

本文

紙の札で遊ぶには、まず紙と、それに絵や文字を刷る技術が要る。だから、遊びの札の起源は中国だとされる。唐から宋の時代の書物には「葉子戯」と呼ばれる紙の札の遊びが出てくる。ただ、それがいまのトランプと直接つながるのかどうかは確かめられていない。宋の時代に生まれた紙幣(交子(世界最初の紙幣))そのものが遊びの道具に転じたのではないか、という説明もある。

中国から西への道筋ははっきりしないが、まとまった姿で残る最も古い一組は、エジプトとシリアを治めたマムルーク朝のものである。イスタンブールのトプカプ宮殿に、ほぼ一組分が保存されている。作られたのは15世紀ごろとされ、さらに古い時代の断片も見つかっている。

トランプカード
トランプカードWikimedia Commons Taiga.sato · CC BY 4.0

その構成は、驚くほどいまのトランプに近い。札は四つの組に分かれ、それぞれの組の印は、剣、ポロの打球棒、杯、貨幣である。各組に1から10の数札と、3枚の絵札がある。絵札は王(マリク)、王の代理(ナーイブ・マリク)、第二の代理(サーニー・ナーイブ)。

一組は52枚で、いまのトランプと同じ枚数になる。ただし、絵札に人の姿は描かれていない。描かれているのは美しい文様と、王や代理といった役名の文字だけだった。生き物の姿を描くことを避けるイスラームの規範によるとされる。

フランスのカード。「1」から始まる(「A」ではない)。Roi de cœur ロワ・ド・クール(=ハートのキング)が1枚見せてある。フランスのカードは、王などに具体的な人物像があてはめられていて、絵が1枚1枚異なっている。
フランスのカード。「1」から始まる(「A」ではない)。Roi de cœur ロワ・ド・クール(=ハートのキング)が1枚見せてある。フランスのカードは、王などに具体的な人物像があてはめられていて、絵が1枚1枚異なっている。Wikimedia Commons Damastes · Public domain

1370年代、カードは突然、ヨーロッパのあちこちの記録に現れる。1377年には、フィレンツェでカード遊びを禁じる条例が出され、同じ年、スイスのバーゼルの修道士ヨハネスが、この新しい遊びについて詳しく書き残した。彼が記した札の構成は、4組52枚で、絵札が3枚ずつ。マムルーク朝の札とぴたりと一致する。地中海の交易路を通って、わずか十年ほどの間に一斉に広まったのである。

なぜ、それほど速く広がったのか。札は軽く、懐に入れて持ち運べる。一組あれば何十通りもの遊びができる。そして、賭けができる。だから教会も都市も領主も、繰り返しカード遊びを禁じた。禁令が何度も出されたということは、それだけ守られなかったということでもある。

トランプゲームに興じるロシアの士官(1914年頃撮影)。
トランプゲームに興じるロシアの士官(1914年頃撮影)。Wikimedia Commons Unknown photographer · Public domain

ヨーロッパに入った札は、土地ごとに印を変えた。イタリアとスペインは、剣・棍棒・杯・貨幣という元の印をほぼそのまま受け継いだ。ドイツでは、どんぐり・葉・心臓・鈴になり、スイスでは、どんぐり・盾・薔薇・鈴になった。そして15世紀の後半、フランスの札が、印を単純な形にまとめた。槍の穂先、クローバー、心臓、菱形の敷石。いまのスペード、クラブ、ハート、ダイヤである。

英語の呼び名には、ねじれが残っている。スペードはイタリア語やスペイン語の「剣」から、クラブはイタリアの「棍棒」を英語に訳したものから来ている。形はフランス式なのに、名前はイタリア式なのである。

フランス式の単純な形は、決定的な強みを持っていた。型紙を当てて色を刷り込めるのである。ドイツやイタリアの込み入った図柄は、一枚ずつ木版で刷り、手で色を塗らなければならなかった。フランス式なら、黒と赤の二色と単純な形で済み、安く大量に作れる。印刷術が広まる時代(グーテンベルクの活版印刷)に、この差は大きかった。フランス式の札はヨーロッパの大半に広がり、イギリスへ渡り、そこから世界へ出ていった。

グーテンベルクの活版印刷に関わる図版:Gutenberg press
グーテンベルクの活版印刷Wikimedia Commons International Printing Museum · CC0

フランスでは、16世紀ごろから絵札に歴史や伝説の人物の名が与えられた。パリの型では、スペードの王はダビデ、ハートの王はシャルルマーニュ、ダイヤの王はカエサル、クラブの王はアレクサンドロス大王である。女王や兵士の札にも名があり、ハートの女王はユディト、スペードの女王は知恵の女神パラスとされた。

イギリスに渡った絵札は、そこで図柄が固まった。18世紀のイギリスの札の絵が、ほぼそのままいまの標準になっている。いまのトランプの絵札は、フランスの意匠をイギリスで刷り続けたものなのである。写しを重ねるうちに、元の意味を失った部分もある。

トルファン市で発見された1400年頃の中国の遊戯カード (9.5×3.5cm)
トルファン市で発見された1400年頃の中国の遊戯カード (9.5×3.5cm)Wikimedia Commons Anonymous Unknown author · Public domain

スペードとハートの兵士は横顔で片目しか見えず、「片目のジャック」と呼ばれる。ハートの王は剣を自分の頭の後ろに突き立てているように見え、「自殺する王」とあだ名される。もとは斧を振り上げていた姿が、刷り直しの間に崩れたものとされる。

ジョーカーは新しい札である。19世紀の半ば、アメリカで流行したユーカーというゲームで、いちばん強い切り札として加えられたのが始まりとされる。ゲームの名が訛って札の名になった、という説がある。

16世紀イタリア・ベルガモのトランプ40枚組
16世紀イタリア・ベルガモのトランプ40枚組Wikimedia Commons the firm of Pietro Masenghini · Public domain

カードは国の財源にもなった。イギリスは18世紀からカードに税をかけ、やがてスペードのエースに納税の証の印を刷ることにした。いまでも多くのトランプで、スペードのエースだけが大きく凝った意匠になっているのは、その名残である。偽造は重い罪で、1805年には、カードの印紙を偽造したロンドンの男が絞首刑になっている。

トランプとよく混同されるのがタロットである。タロットはもともと占いの道具ではなく、15世紀のイタリアで、勝ち札を取り合う遊びのために作られた札だった。普通の4組に、切り札として使う22枚の絵札を加えたもので、愚者、皇帝、恋人、死神、塔、星、月、太陽といった絵が描かれた。イタリアやフランスや中央ヨーロッパでは、いまもカードゲームとして遊ばれている。

1500年頃の3枚の遊戯カード(スペイン)
1500年頃の3枚の遊戯カード(スペイン)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

占いに使われるようになったのは18世紀の終わりのフランスである。1781年、学者のクール・ド・ジェブランが、タロットは古代エジプトの秘密の知恵を伝える書だと唱えた。根拠は無かった。エジプトの文字が読めるようになるのは、その41年後のことである(ロゼッタ・ストーンの解読)。それでもこの説は広まり、19世紀の神秘思想の中で占いの体系が作られ、1909年にイギリスで出た一組が、いまよく知られる図柄の基礎になった。

日本へは16世紀、ポルトガル帝国の商人たちが札を持ち込んだ。「カルタ」という言葉はポルトガル語の「札」から来ている。日本で作られた最初期の札は、ポルトガル式の48枚を写した天正かるたで、のちにそれを作り変えた「うんすんかるた」も生まれた。「うん」はポルトガル語の「一」、「すん」は「最高」から来たとされる。

札はたちまち賭け事に使われ、幕府は繰り返し禁じた。そのたびに図柄を変えた札が作られ、やがて数字も印も書かれず、十二か月の草花だけを描いた花札にたどりついた。賭けの道具だと分かりにくくするためだった、という説明がある。

1889年、京都で山内房治郎という職人が花札を作る店を開いた。店の名は任天堂である。1902年には国内で初めて西洋式のトランプを作り始め、その後、玩具へ、そして電子のゲームへと手を広げていった(ファミリーコンピュータの発売)。

52枚の札の並べ方は、52の階乗通り、およそ8の後ろに0が67個並ぶほどの数になる。よく切った一組の並びは、人類がカードで遊んできた歴史の中で、おそらく一度も現れたことのない並びだと言われる。中国の紙から始まり、マムルークの宮廷を経て地中海を渡り、各地で姿を変えてきた札は、いまも手のひらの上で新しい並びを作り続けている。

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