介護保険
概要
それまで、高齢者の介護は家族が、実際にはその家の女性が担うものとされていた。措置制度の下で、行政が対象者と内容を決めた。2000年、40歳以上が保険料を払い、要介護の認定を受けて、事業者と契約してサービスを選ぶ仕組みに変わった。介護の社会化と呼ばれた。家の中で見えなかった労働の一部が、値段の付いた仕事になった。同時に、その賃金は他の産業より低く、人手不足が続いている。数えられるようになっても、安いままである。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
日本では長いあいだ、年老いた親の介護は家族がするものとされてきた。そして実際にそれを担ったのは、その家の女性、つまり妻や娘、そして息子の妻である「嫁」だった。1990年代の調査でも、家で介護をしている人の大半は女性で、なかでも嫁が大きな割合を占めていた。
公の仕組みとしては、措置制度があった。行政が、誰が支援を受けるか、どんな支援を受けるか、どの施設に入るかを決める。利用する側が選ぶのではなく、行政によって「措置される」のである。福祉は権利というより恩恵に近く、対象も、所得が低く頼れる家族がいない人が中心だった。家族がいるなら家族がみるべきだ、という前提である。
この前提は、急速に崩れつつあった。まず高齢化の速さである。六十五歳以上の人の割合は、1970年に七パーセントを超え、1994年には十四パーセントに達した。七パーセントから十四パーセントまで、わずか二十四年。フランスでは百年以上、スウェーデンでは八十年あまり、ドイツでも四十年かかった変化だった。医療が進んで長生きになるにつれ、亡くなるまでに長く介護が必要な期間ができた。核家族が増え、女性が働くようになり、介護する側の家族もまた高齢という「老老介護」が珍しくなくなった。
介護の受け皿がないために、治療の必要がなくなっても病院に入り続ける「社会的入院」も広がり、病院が事実上の高齢者の住まいになって医療費を押し上げた。家の中では、仕事を辞めて親の介護に専念する介護離職、介護する人の心の病、虐待、そして疲れ果てた末の介護殺人や心中が起きていた。1990年代、そうした事件が新聞で繰り返し報じられた。
1990年代の前半から、新しい制度づくりの議論が本格化した。最初の論点は財源で、税でまかなうか、保険でまかなうかである。選ばれたのは保険の方式だった。保険料を払っていれば、サービスを受けるのは当然の権利になる。税の方式では財政の事情で削られやすく、恩恵という性格も残る。社会保険の発祥の地で(ビスマルクの社会保険)、1995年に介護保険を始めていたドイツの例が参考にされた。保険料を払うのは四十歳以上と決まった。親の介護に向き合い始める年代で、自分のこととして受け止めやすいという理由だったが、この線引きには理屈の上の根拠が弱いという議論が、その後も繰り返されている。
もう一つの大きな転換は、サービスの担い手に民間の事業者を認めたことである。それまで福祉のサービスを提供できるのは、行政と社会福祉法人にほぼ限られていた。新しい制度では、株式会社も、非営利の法人も、生協や農協も、訪問介護や通所介護の事業に加われるようになった。
介護保険法は1997年12月に成立し、2000年4月1日に施行された。仕組みはこうである。介護が必要になったら市町村に申請し、調査員の訪問による聞き取りと、全国共通の基準による計算機の判定、さらに医療や福祉の専門家が主治医の意見書を見て審査する二段階の判定で、どれだけの介護が必要かの認定を受ける。区分は要支援の二段階と要介護の五段階、あわせて七つで、区分に応じて保険で使える額の上限が決まる。介護支援専門員(ケアマネジャー)が利用の計画を作り、利用者は事業者を選んで契約を結ぶ。費用の自己負担は原則一割で、のちに所得の多い人は二割や三割になった。措置から契約へ。介護の社会化と呼ばれた転換である。
制度が始まると、利用は予想をはるかに超えて増えた。要介護や要支援の認定を受けた人は、2000年の二百万人あまりから、2020年代には七百万人近くになった。介護保険にかかる費用も、初年度の三兆六千億円ほどから、十数兆円規模へと膨らんだ。制度は、それまで家族が抱え込んで表に出ていなかった需要を掘り起こしたのである。
家の中で見えなかった労働は、値段の付いた仕事になった。介護の仕事に就く人は、2000年の五十万人あまりから、二十年余りで二百万人を超え、日本で働き手の多い職業の一つになった。だが、その賃金は低い。介護職員の平均の給与は、全産業の平均を月に数万円下回る状態が続いている。介護サービスの値段は、国が定める介護報酬で決まっていて、事業者が自由に上げることはできない。報酬を上げれば、保険料や税や利用者の負担が上がる。そうした構造の制約に加えて、もともと家族がただでやっていた仕事だから低く見積もられているのではないか、という指摘も繰り返されている。保育や看護、家事の支援の仕事についても同じ議論があり、世話をする仕事の賃金が低いのは、日本に限らず多くの国で見られる現象である。
人手は足りないままである。国の推計では、2040年度には二百七十万人ほどの介護職員が必要とされ、いまの増え方では数十万人が足りなくなると見込まれている。賃金を上乗せする加算、外国から働き手を迎える仕組み、介護ロボットや情報機器の導入などが進められているが、根本の解決には至っていない。
家族の介護も消えたわけではない。保険で使える額には上限があり、それを超えれば全額が自己負担になる。足りない分は、いまも家族が埋めている。国の調査では、主に介護をしている人の半数近くが同居の家族で、その七割近くが女性である。それでも男性の介護者の割合は確実に増え、同居の主な介護者の三割を超えるようになった。息子や夫が親や妻を介護する姿は、もう珍しくない。
これまで数えられていなかった人々も、少しずつ見えるようになってきた。家族の介護や世話を担う十八歳未満の子ども、いわゆるヤングケアラーについて、国は2020年度から初めて全国の調査を行い、中学二年生の約十七人に一人、全日制の高校二年生の約二十四人に一人が、世話をしている家族がいると答えた。働きながら家族の介護をする人は、2030年には三百万人を超えると経済産業省は推計し、介護のために仕事を辞めたり働き方を変えたりすることによる経済の損失は、年に九兆円を超えると試算している。
介護保険は、家の中に閉じ込められていた労働の一部を社会が担う仕組みにし、その姿を数字で見えるようにした。その意味で、日本の社会保障の歴史の中でも大きな転換だった(国民皆保険)。ただ、値段が付いたいまも、その値段は安いままである。数えられるようになることと、正当に報われることとは、別のことなのだと、この制度の二十数年は示している(物語「老いと死の歴史」)。