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Event / できごと

モスクワ・オリンピックのボイコット

1980 Summer Olympics boycott
AD1980年7月19日
重要度 3
ソビエト連邦中国インドアルジェリアサウジアラビアイランリビアチベットエジプトパキスタントルコスウェーデンノルウェーフランスアフガニスタンフィンランドスペインイラク大英帝国ポーランドモロッコイタリアWest GermanyイギリスYugoslaviaルーマニアシリアCzechoslovakiaチュニジアEast GermanyブルガリアギリシャハンガリーオーストリアヨルダンAD1980年7月19日モスクワ
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概要

1979年の暮れ、ソ連がアフガニスタンに攻め込むと、アメリカのカーター大統領は、翌年のモスクワ・オリンピックへの不参加を西側の国々に呼びかけた。日本、西ドイツ、カナダ、中国など、60を超える国と地域が参加を見送った。日本のオリンピック委員会が不参加を決めた日、柔道の山下泰裕らの選手たちは涙で抗議したが、決定は覆らなかった。4年後のロサンゼルス・オリンピックには、ソ連と東欧の国々が報復のように参加しなかった。スポーツは政治から離れているべきだという建前は、冷戦の中で崩れた。選手たちの4年に一度の機会が、国の政治の道具にされた。

場所

モスクワ
55.76°N 37.62°E · ロシア

本文

近代のオリンピックは、スポーツを通じて国と国の友好を深め、平和に貢献することを理念に掲げてきた。だが、その舞台はたびたび政治に巻き込まれた。1936年のベルリン大会はナチ・ドイツの宣伝に使われ(ベルリン・オリンピック)、1968年のメキシコ大会では表彰台で黒人差別への抗議が行われ、1972年のミュンヘン大会ではイスラエルの選手たちがテロで殺された。1976年のモントリオール大会では、ニュージーランドがアパルトヘイトの南アフリカとラグビーの試合をしたことに抗議して、アフリカの国々の多くが参加しなかった。

1979年12月、ソ連の軍がアフガニスタンに攻め込んだ(ソ連のアフガニスタン侵攻)。翌年の夏のオリンピックは、ソ連の首都モスクワで開かれることになっていた。アメリカのカーター大統領は、ソ連軍がアフガニスタンから撤退しなければ、アメリカはモスクワの大会に参加しないと宣言し、同盟国や友好国にも同じ行動を呼びかけた。

各国のオリンピック委員会は、選手たちの思いと、政府の強い圧力の板挟みになった。日本では、1980年5月24日、日本オリンピック委員会が臨時の総会で、投票によって不参加を決めた。その前の選手たちの集会で、柔道の山下泰裕やレスリングの高田裕司らは、涙を流しながら参加を訴えていた。イギリスやフランス、イタリアなどは政府が反対しながらも参加し、一部の選手は国旗の代わりに五輪の旗を掲げて行進した。

7月19日に開幕したモスクワ大会には、アメリカ、日本、西ドイツ、カナダ、中国、ケニアなど、60を超える国と地域が参加しなかった。参加したのは80か国で、1956年のメルボルン大会以来の少なさだった。ソ連と東ドイツの選手が、メダルの大半を獲った。

4年後の1984年、アメリカのロサンゼルスで開かれた大会には、ソ連と東欧の国々の多くが、選手の安全を保証できないことを理由に参加しなかった。モスクワへの不参加への仕返しだと受け止められた。二つの大会のボイコットで、多くの選手が、生涯に一度の機会を失った。スポーツは政治と無関係だという建前は、冷戦のさなかで崩れた。1988年のソウル大会で、東西の国々は12年ぶりにそろって顔を合わせた。

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