概要
1979年の暮れ、ソ連がアフガニスタンに攻め込むと、アメリカのカーター大統領は、翌年のモスクワ・オリンピックへの不参加を西側の国々に呼びかけた。日本、西ドイツ、カナダ、中国など、60を超える国と地域が参加を見送った。日本のオリンピック委員会が不参加を決めた日、柔道の山下泰裕らの選手たちは涙で抗議したが、決定は覆らなかった。4年後のロサンゼルス・オリンピックには、ソ連と東欧の国々が報復のように参加しなかった。スポーツは政治から離れているべきだという建前は、冷戦の中で崩れた。選手たちの4年に一度の機会が、国の政治の道具にされた。
場所
55.76°N 37.62°E · ロシア
本文
近代のオリンピックは、スポーツを通じて国と国の友好を深め、平和に貢献することを理念に掲げてきた。だが、その舞台はたびたび政治に巻き込まれた。1936年のベルリン大会はナチ・ドイツの宣伝に使われ(ベルリン・オリンピック)、1968年のメキシコ大会では表彰台で黒人差別への抗議が行われ、1972年のミュンヘン大会ではイスラエルの選手たちがテロで殺された。1976年のモントリオール大会では、ニュージーランドがアパルトヘイトの南アフリカとラグビーの試合をしたことに抗議して、アフリカの国々の多くが参加しなかった。
1979年12月、ソ連の軍がアフガニスタンに攻め込んだ(ソ連のアフガニスタン侵攻)。翌年の夏のオリンピックは、ソ連の首都モスクワで開かれることになっていた。アメリカのカーター大統領は、ソ連軍がアフガニスタンから撤退しなければ、アメリカはモスクワの大会に参加しないと宣言し、同盟国や友好国にも同じ行動を呼びかけた。
各国のオリンピック委員会は、選手たちの思いと、政府の強い圧力の板挟みになった。日本では、1980年5月24日、日本オリンピック委員会が臨時の総会で、投票によって不参加を決めた。その前の選手たちの集会で、柔道の山下泰裕やレスリングの高田裕司らは、涙を流しながら参加を訴えていた。イギリスやフランス、イタリアなどは政府が反対しながらも参加し、一部の選手は国旗の代わりに五輪の旗を掲げて行進した。
7月19日に開幕したモスクワ大会には、アメリカ、日本、西ドイツ、カナダ、中国、ケニアなど、60を超える国と地域が参加しなかった。参加したのは80か国で、1956年のメルボルン大会以来の少なさだった。ソ連と東ドイツの選手が、メダルの大半を獲った。
4年後の1984年、アメリカのロサンゼルスで開かれた大会には、ソ連と東欧の国々の多くが、選手の安全を保証できないことを理由に参加しなかった。モスクワへの不参加への仕返しだと受け止められた。二つの大会のボイコットで、多くの選手が、生涯に一度の機会を失った。スポーツは政治と無関係だという建前は、冷戦のさなかで崩れた。1988年のソウル大会で、東西の国々は12年ぶりにそろって顔を合わせた。