概要
アメリカの偵察機がウラルの上でミサイルで落ちた。アイゼンハワーは「気象観測機」と言い、フルシチョフは操縦士パワーズと写真を出した。2週間後のパリの首脳会談は初日に壊れた。パワーズは1962年にベルリンの橋でソ連のスパイと交換された。
場所
56.84°N 60.61°E · ロシア
本文
U2。ロッキード。1955年。「7万フィート」。 「ソ連のミサイルは、届かない」。 1956年7月から。「24回」。 「ソ連は、知っていた。撃てなかった」。 1960年5月1日。メーデー。 ペシャーワル。パキスタン。 「ボードー、ノルウェーへ。ソ連を横断」。 フランシス・ゲーリー・パワーズ。30歳。 「サレノエフを見て」。 「SA-2」。14発。 「スヴェルドロフスク。ウラル」。 「6万8000フィート」。 「翼が折れた。脱出。自爆装置を押さなかった」。 「パラシュート」。 「農民が」。 「毒の針。使わなかった」。 5月5日。フルシチョフ。「アメリカの飛行機を撃った」。 5月5日。NASA。「気象観測機。パイロットは酸素の故障で」。 5月7日。フルシチョフ。「パイロットは生きている。飛行機の残骸と、写真」。 「アイゼンハワーは、知らなかった、と言える立場を」。 5月11日。アイゼンハワー。「私が命じた」。 5月16日。パリ。「4巨頭」。アイゼンハワー、フルシチョフ、ド・ゴール、マクミラン。 フルシチョフ。「謝罪を。今後しないと。責任者を罰すると」。 アイゼンハワー。「しない、と約束する」。「謝罪は」。 「会談は、始まらずに終わった」。 アイゼンハワーの訪ソは、なくなった。 8月。モスクワ。裁判。「10年」。 1962年2月10日。グリーニッケ橋。「スパイの橋」。ルドルフ・アベル。 パワーズ。「なぜ、自爆しなかった」。「なぜ、毒を」。 「CIAは、彼を、冷たく」。 1977年。ロサンゼルス。テレビ局のヘリ。墜落。 2000年。「捕虜勲章」。死後。 「モスクワの中央軍事博物館に、U2の残骸」。 「U2は、まだ、飛んでいる」。 「衛星」。「コロナ」。1960年8月。「U2は、もう要らなかった。撃たれる前から」。 「2015年、『ブリッジ・オブ・スパイ』」。 「スヴェルドロフスク」。 「エカテリンブルク」。 「ニコライ2世が殺された街で」。