概要
1801年、任期の切れるアダムズ大統領は、自分の党の人々を判事に駆け込みで任じたが、辞令の一部は届けられないまま、政権はジェファソンに移った。新しい国務長官マディソンは辞令を渡さず、治安判事に任じられたマーベリーは、最高裁判所に渡すよう命じてほしいと訴えた。1803年2月24日、首席判事ジョン・マーシャルは、マーベリーには辞令を受け取る権利があると認めながら、最高裁にこの訴えを直接受け付けさせる法律の条文が憲法に反し、無効だとして、訴えを退けた。裁判所が法律を憲法に照らして無効にできる、違憲審査の始まりである。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
1800年の大統領選挙で、アダムズの連邦派は、ジェファソンの共和派に敗れた。政権が移る前の数週間、連邦派は議会で裁判所を増やす法を通し、アダムズは自分の党の人々を次々に判事に任じた。任期の最後の晩まで辞令に署名したので、のちに「真夜中の判事」と呼ばれる。そのとき国務長官として辞令に印を押し、届ける役を負っていたのが、すでに最高裁の首席判事にも任じられていたジョン・マーシャルだった。辞令の一部は、届けられないまま残った。
1801年3月、トマス・ジェファソンが大統領になると、新しい国務長官ジェームズ・マディソンは、残っていた辞令を渡さなかった。首都ワシントンの治安判事に任じられていたウィリアム・マーベリーは、最高裁判所に、マディソンに辞令を渡すよう命じてほしいと訴えた。1789年の裁判所法が、こうした命令を求める訴えを、最高裁が直接受け付けると定めていたからである。
マーシャルは難しい立場にあった。マディソンに辞令を渡せと命じても、ジェファソンの政府は従わないだろう。そうなれば、裁判所の命令には力が無いことが知れ渡る。命じなければ、政府の言いなりに見える。
1803年2月24日の判決で、マーシャルは三段に分けて答えた。マーベリーには辞令を受け取る権利がある。その権利が侵されたなら、法による救いがあるべきだ。だが、最高裁にこの訴えを直接受け付けさせている裁判所法の条文は、憲法が最高裁に与えた権限を超えているので無効であり、最高裁はこの訴えを扱えない。そして、何が法であるかを言うのは、ひとえに裁判所の領分であり務めである、と書いた。
ジェファソンの側は、訴えが退けられたので勝ったことになる。だが裁判所は、議会が作った法律を憲法に照らして無効にする力を、自ら手にした。最高裁が次に連邦の法律を無効にしたのは、半世紀あまり後のドレッド・スコット判決だった。違憲審査の考えは、のちに多くの国の憲法に取り入れられ、日本国憲法も81条で、最高裁判所が法律などの憲法への適否を決める権限を持つと定めている。