概要
デンマークから移民した新聞記者ジェイコブ・リースは、警察の担当の記者として、ニューヨークの下町の貧民街を歩き回った。そこでは、移民の家族が、窓の無い部屋の並ぶ集合住宅に詰め込まれ、ひとつの便所を何十人もが使っていた。リースは、発明されたばかりの閃光の粉を使って、暗い部屋の中や路地の奥を写真に撮った。1890年、写真と文章で貧しい人々の暮らしを伝えた『向こう半分の人々の暮らし』を出すと、豊かな人々は衝撃を受けた。のちに大統領となるセオドア・ローズヴェルトはリースとともに夜の貧民街を回り、1901年には、集合住宅に光と風と便所を義務づける法ができた。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
19世紀の後半、ニューヨークには、アイルランド、イタリア、東欧などから、毎年何十万人もの移民が押し寄せた。移民の多くは、マンハッタンの南の下町の、テネメントと呼ばれる集合住宅に住んだ。5階か6階建ての細長い建物に、窓の無い部屋が並び、一つの部屋に一家族、ときには下宿人まで詰め込まれた。水道は廊下に一つ、便所は裏庭に数個しかなかった。結核やコレラが広がり、子どもたちが次々に死んだ。
ジェイコブ・リースは、1849年にデンマークで生まれ、21歳でアメリカに渡った。職を転々とし、ときには路上や警察の宿泊所で夜を過ごした。のちに新聞社に入り、警察の担当の記者として、毎夜、マルベリー・ベンドなどの最も貧しい地区を歩いた。彼は、言葉で書くだけでは、豊かな人々に貧民街の実情は伝わらないと考えた。
1887年、リースは、ドイツで発明されたばかりのマグネシウムの閃光の粉のことを知った。暗い部屋の中でも、一瞬の強い光で写真が撮れる。リースは仲間と、夜の貧民街に入り込み、窓の無い部屋で眠る家族、路地で寝る浮浪の少年たち、ほの暗い酒場の奥を撮った。突然の閃光に驚いた住人が逃げ出し、火事を起こしかけたこともあった。
1890年、リースは『向こう半分の人々の暮らし』を出版した。題は、世の半分の人々は、残りの半分がどう暮らしているかを知らない、という言葉から取られた。写真をもとにした挿絵と文章で、下町の暮らしを生々しく伝えたこの本は、大きな反響を呼んだ。リースは、幻灯で写真を映しながら、各地で講演を重ねた。
本を読んで心を動かされた一人が、のちにニューヨーク市の警察の長官となり、さらに大統領になるセオドア・ローズヴェルトだった。彼は、リースとともに夜の貧民街を歩いて回った。1901年、ニューヨーク州は新しい集合住宅法を定め、新しく建てる集合住宅には、すべての部屋に窓をつけ、建物の中に便所を設け、光と風を通す中庭を設けることを義務づけた。写真が社会を動かした、早い例の一つである。リースの仕事は、のちに子どもの労働を撮ったルイス・ハインらに受け継がれた(ハインの写真と児童労働)。