できごと

燻す鰹節

Katsuobushi
AD1674年(延宝2年)
重要度 3
ロシア帝国スペイン帝国中央アジアの諸ハン国清ムガル帝国チベットチュクチ明の滅亡後の軍閥アユタヤ朝Avaシャン諸邦Koryaks日本大越朝鮮王朝Itelmenラオスの諸国大越フィリピンカンボジアLan NaアイヌモシリアラカンAD1674年(延宝2年)高知
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概要

鰹は傷みやすい魚で、古くは煮て干したものが都に送られていた。江戸の初め、紀州の漁師甚太郎が土佐に移り、煮た鰹を煙で燻しながら乾かす方法を広めたと伝えられる。煙で燻すと、中まで水が抜け、表に脂がにじみ出るのを防げる。さらにのちには、表面にわざとカビを付けて水分を吸わせる手が加わり、鰹節は石のように固くなった。削って出汁を取れば、旨みが湯に溶け出す。保存のための工夫が、そのまま日本の味の土台になった。

場所

高知
33.56°N 133.53°E · 日本・高知県(土佐藩の城下町)

本文

鰹は、黒潮に乗って日本の太平洋岸へやって来る回遊魚である。春から初夏にかけて北上する群れは、古くから土佐や紀州、伊豆の漁師たちの大事な獲物だった。だが鰹は赤身で血が多く、とても傷みやすい。冷蔵の手立ての無い時代、獲れた鰹を遠くまで運ぶには、何らかの方法で保たせなければならなかった。

鰹を加工して都へ送ることは、奈良時代にはすでに行われていた。律令の税の決まりには、鰹を干した「堅魚(かつお)」、煮てから干した「煮堅魚」、煮汁を煮詰めた「堅魚煎汁(かつおいろり)」が、各地から納める品として挙げられている。平城京の跡(平城京遷都)から出た木簡にも、伊豆や駿河から送られた堅魚の荷札が見つかっている。かつおという名も、干して堅くなった魚、という意味から来たと言われる。ただ、日に干しただけでは中まで乾ききらず、カビが生えたり、脂が回って傷んだりしやすかった。

鰹節
鰹節Wikimedia Commons Sakurai Midori · CC BY 2.5

江戸時代の初め、鰹の保存に新しい工夫が生まれた。土佐の伝えによれば、1674年(延宝2年)、紀州の印南の漁師、甚太郎が土佐の宇佐の浦に移り住み、煮た鰹を煙で燻しながら乾かす方法を広めたという。これを焙乾(ばいかん)という。煮た鰹を籠に並べ、下で薪を焚いて、熱と煙で何日もかけてじっくり水を抜く。いったん冷まして中の水を表へ戻し、また燻す。これを繰り返すと、鰹は芯まで乾き、煙の成分が表面を覆って、傷みにくく、脂も酸化しにくくなる。独特の香ばしい香りも、この燻しから生まれた。こうして作られた土佐の鰹節は質がよく、上方や江戸で高い値がついた。土佐藩も鰹節を国の産物として大事に扱った。

さらに、もう一つの工夫が加わった。燻して乾かした鰹節に、わざとカビを付けるのである。もとは、大坂や江戸へ船で運ぶ途中に生えたカビを払ってみると、かえって味が良くなっていた、という経験から始まったと言われる。よいカビは、鰹節の中に残ったわずかな水を吸い出し、脂を分解して、生臭さを消し、旨みを引き出す。日に干してはカビを払い、また付ける。この作業を何か月もかけて繰り返すと、鰹節は叩けば澄んだ音がするほど固くなった。こうした手間をかけたものを本枯節と呼ぶ。土佐の製法は18世紀の後半、土佐の職人によって伊豆や安房へも伝えられ、各地で改良が重ねられた。

南洋庁時代のトラック島における鰹節(1930年頃)
南洋庁時代のトラック島における鰹節(1930年頃)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

固い鰹節は、削って使う。薄く削った花のような削り節を湯に入れると、短い時間で旨みが溶け出す。江戸の町では、昆布の出汁を好む上方に対して、鰹節の出汁が料理の土台になった。そばのつゆも、煮物も、吸い物も、鰹の出汁で組み立てられていった。鰹節は「勝男武士」に通じるとして、武家の祝いの贈り物にも好まれた。

鰹節の旨みの正体が分かったのは、20世紀に入ってからである。1908年、化学者の池田菊苗が昆布の旨みの元をグルタミン酸と突き止めると(うま味の発見)、1913年には彼の弟子の小玉新太郎が、鰹節の旨みの元がイノシン酸であることを明らかにした。さらにのちには、昆布のグルタミン酸と鰹節のイノシン酸を合わせると、旨みが何倍にも強く感じられることも分かった。昆布と鰹の合わせ出汁は、経験の中で、その組み合わせにたどり着いていたのである。

削った鰹節が入った袋
削った鰹節が入った袋Wikimedia Commons Joy · CC BY 2.0

いまの鰹節の多くは、鹿児島の枕崎や山川、静岡の焼津で作られている。燻しとカビという、腐らせないための工夫が、そのまま日本の味の土台になった。干したタラが、生のタラとは違う、塩ダラならではの味をヨーロッパの料理にもたらしたように(塩ダラ)、保存のための知恵は、しばしば新しい味そのものを生み出してきた。

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