確率論のはじまり
概要
賭博師シュヴァリエ・ド・メレが、パスカルに二つの問いを出した。中断した賭けの掛け金をどう分けるか。パスカルはフェルマーと手紙を交わし、「これから起こりうる場合を数え上げて、期待値で分ける」という答えに達した。過去の実績ではなく、未来の可能性を数える。ここから、保険、年金、統計、そして意思決定の理論が出る。パスカル自身は、この考えを神の存在への賭けにも使った。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(2)
ブレーズ・パスカルAD1623年6月19日–AD1662年8月19日 · 考えたピエール・ド・フェルマーAD1607年頃–AD1665年1月12日 · 手紙を交わした本文
賭け事は、古代からあった。羊のくるぶしの骨を投げる遊びは古代エジプトにもギリシアにもあり、さいころも早くから使われた。どの目が出やすいか、どんな賭け方が得かという経験の知恵も、賭けをする人々の間にはあった。だが、起こりうる場合をすべて数え上げ、まだ起きていない未来を数で測る、という考え方は、17世紀の半ばまで、はっきりした形では現れなかった。
なぜ遅れたのかには、いくつかの説明がある。骨のさいころは形が不揃いで、どの面も同じように出るという感覚が育ちにくかった。未来は神の領分であり、人が計算する対象ではないと考えられていた。数を扱う記法や代数も、まだ十分ではなかった。16世紀のイタリアの医師で賭博好きのカルダーノは、さいころの目の数え方を論じた原稿を残したが、それが出版されたのは彼の死後90年近くたってからだった。
きっかけは、パリの社交界にいた一人の文筆家だった。シュヴァリエ・ド・メレと名乗ったこの人物は、賭けに通じていて、数学者のブレーズ・パスカルに二つの問題を持ち込んだとされる。一つ目は、さいころの賭けの損得である。1個のさいころを4回振って、6が少なくとも1回出るほうに賭けると得をする。これは経験から知られていた。では、2個のさいころを24回振って、6のぞろ目が少なくとも1回出るほうに賭けるのはどうか。古い考え方では、6分の1に対して4回なら、36分の1に対しては24回で釣り合うはずだった。ところが実際に計算すると、前者が起きる見込みは52パーセントほどで得だが、後者は49パーセントほどで、わずかに損になる。ド・メレは賭けで負けて、算術は矛盾していると嘆いた、という話が伝わっている。
本題は、二つ目の問題だった。二人が同じ額を賭け、先に3回勝ったほうが全部を取ると決めて勝負を始めた。ところが、一方が2勝、他方が1勝したところで、勝負をやめなければならなくなった。賭け金をどう分ければ公平か。「点の問題」あるいは「分配の問題」と呼ばれるこの問いは古く、15世紀の末にイタリアのパチョーリは、それまでの勝ち数に比べて2対1で分ければよいと答えていた。カルダーノやタルタリアも考えたが、納得のいく答えは出なかった。

1654年の夏から秋にかけて、パスカルは南フランスのトゥールーズにいた法律家で数学者のピエール・ド・フェルマーと、この問題をめぐって手紙を交わした。二人は一度も会ったことがない。手紙の中で、二人は同じ答えに、別々の道筋でたどり着いた。
答えの芯は、過去の成績ではなく、これから起こりうる場合を数えることにある。2勝1敗の状態からなら、あと多くても2回で勝負がつく。その2回の勝ち負けの組み合わせは、4通りある。2勝している側が勝つのはそのうち3通りで、もう一方が勝つのは、2回とも勝つ1通りだけである。だから賭け金は3対1で分ければよい。実際には1回で勝負がつく場合もあるが、勝負がついたあとも形の上で最後まで続けると考えれば、どの場合も同じ重みで数えられる。当時の人々がつまずいたのは、この点だった。
フェルマーは、起こりうる組み合わせを一つ残らず数え上げるやり方で解いた。パスカルは、勝負の終わりの側から一歩ずつさかのぼり、それぞれの状態での賭けの値打ちを計算するやり方で解いた。起こりうる結果のそれぞれに、その起こりやすさを掛けて足し合わせる。この「賭けのいまの値打ち」が、のちに期待値と呼ばれるものである。同じころパスカルは、いま「パスカルの三角形」と呼ばれる数の並びについての論文を書き、それを分配の問題と結びつけた。この三角形は、中国、ペルシア、インドの数学者たちが先に知っていたものだが、パスカルはそれを組み合わせの数として使い、数学的帰納法の考え方をはっきりした形で示した。
二人の手紙の内容は、パリの学者たちの間に伝わった。1657年、オランダのホイヘンスは、それをもとに確率を論じた最初の印刷された本を出した。1662年には、ロンドンでジョン・グラントが教会の埋葬記録から死亡の統計をまとめた(死亡表と統計のはじまり)。1713年に出たヤコブ・ベルヌーイの遺稿は、試行を何度も繰り返せば、出来事の起きる割合は本当の確率に近づいていく、という大数の法則を示した。これによって確率は賭博の計算を離れ、統計や自然の記述に使えるものになった。
その先には、保険がある。18世紀のイギリスでは、人がどの年齢でどれだけ死ぬかの表と確率の計算をもとに、生命保険の保険料を決める会社が現れた。年金、社会保険、金融、品質の管理、病気の疫学、天気予報、そしていまの機械学習まで、不確かなものを数で扱うあらゆる分野が、1654年の往復書簡をその出発点の一つにしている。
パスカル自身は、この考え方を思いがけない場所でも使った。1654年11月、彼は強い宗教的な体験をし、それから信仰の道に深く入っていく。死後にまとめられたパスカル『パンセ』の断章には、神がいるかどうかは理性では決められない、ではどちらに賭けるか、という議論がある。神を信じて、神がいれば限りない幸福を得る。いなくても、失うものはわずかである。信じずに、神がいれば限りないものを失う。だから信じるほうに賭けるべきだ、というのである。「パスカルの賭け」と呼ばれるこの議論には、無限を含む計算の扱いや、信じることを自分で選べるのか、どの神を信じるのか、といった批判が多い。それでも、決め方を期待値で論じた最初の例として、いまも意思決定の理論の本に登場する。

未来は分からない。だが、分からないなりに、どのくらい分からないかを数えることはできる。賭け金の分け方という小さな問いから始まったこの考えは、私たちが危険と付き合うときの、もっとも基本的な道具になった。