できごと

うま味の発見

The discovery of umami
AD1908年
重要度 4
大英帝国ロシア帝国清イギリス領インド帝国フランス領インドシナラタナコーシン朝(シャム)日本朝鮮王朝フィリピンAD1908年東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1908年の版図を描いています(9勢力)。

概要

東京帝国大学の池田菊苗が、昆布だしの味は甘・酸・塩・苦のどれでもない第五の味だと考え、38キロの昆布を煮詰めてグルタミン酸ナトリウムの結晶を取り出した。「うま味」と名づけた。翌年、鈴木製薬所が「味の素」として売り出した。西洋の生理学は長くこれを認めず、2000年に舌のグルタミン酸受容体が見つかって、ようやく第五の基本味として受け入れられた。だしも、チーズも、トマトも、同じ分子を含んでいる。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

関わった人(1)

池田菊苗AD1864年10月8日–AD1936年5月3日 · 見つけた

本文

19世紀のヨーロッパの生理学は、人が舌で感じる基本の味を四つとしていた。甘い、酸っぱい、塩辛い、苦い。舌の場所ごとに受け持つ味が違うという「味覚の地図」も広く教えられていたが、これはのちに誤りだと分かる。四つの味の枠組みは、長いあいだ揺るがなかった。

池田菊苗は1864年に京都で生まれ、東京帝国大学で化学を学んで、物理化学を専門とする教授になった。1899年から1901年までドイツのライプツィヒに留学し、のちにノーベル化学賞を受けるオストヴァルトのもとで学んだ。帰り道にロンドンに立ち寄り、二か月ほど、留学中の夏目漱石と同じ下宿で暮らした。神経をすり減らし、人付き合いを避けていた漱石も、池田とは夜遅くまで語り合った。漱石は帰国後に書いた『文学論』の序で、池田に会ったことが、文学を科学のように体系立てて考えようとするきっかけになったと書いている。

熟したトマト
熟したトマトWikimedia Commons Amtsga · CC0

池田が四つの味のどれでもない味に気づいたのは、帰国後のことである。湯豆腐を食べていたとき、あるいは妻の作った吸い物を口にしたときだったと伝えられ、話にはいくつかの版がある。昆布でとっただしには、甘くも、酸っぱくも、塩辛くも、苦くもない、それでいてはっきりとした味がある。同じ味は肉のスープにも、トマトにも、チーズにもある。日本の料理の土台になっている味なのに、それが何なのかを問うた者はいなかった。

1908年、池田は昆布からその味の正体を取り出しにかかった。38キログラムの乾いた昆布を水で煮出して濃くし、マンニトールや塩化カリウム、食塩といったほかの成分を一つずつ取り除いていく。最後に残った結晶は、わずか30グラムほどだった。それはグルタミン酸というアミノ酸だった。グルタミン酸そのものは、1866年にドイツの化学者リットハウゼンが小麦のたんぱく質から取り出していた。池田が示したのは、これが昆布だしの味を担っていること、そして水によく溶けるナトリウム塩、つまりグルタミン酸ナトリウムの形にすると、最もよく味を出すということだった。彼はこの味を「うま味」と名づけ、1909年に日本語の論文で発表した。

味噌
味噌Wikimedia Commons https://publicdomainq.net/miso-0018849/ · CC0

池田には、この発見を暮らしに役立てたいという思いもあった。安くておいしい調味料があれば、質素な食事も食べやすくなり、人々の栄養がよくなるだろう、と彼は考えていた。池田は製法の特許を取り、ヨード(ヨウ素)の製造を営んでいた実業家鈴木三郎助と組んだ。1909年5月、小麦のたんぱく質を原料にした調味料が「味の素」の名で売り出された。初めは値段が高く、なかなか売れず、三郎助は各地を回って料理の実演をしながら売り込んだ。やがて原料は大豆へ、さらに微生物に作らせる発酵法へと移り、値段が下がって世界中に広まっていく。

一方、西洋の生理学者たちは、長くうま味を基本の味と認めなかった。理由はいくつかある。池田の論文は日本語で書かれ、英語に訳されて学術誌に載ったのは2002年だった。うま味は単独では感じにくく、ほかの味と一緒になったときに全体を強め、まろやかにする働きが目立つ。四つの味の枠組みも強固だった。英語には、いまもこれにあたる言葉がなく、日本語のまま「ウマミ」と呼ばれている。

池田菊苗
池田菊苗Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

風向きが変わったのは1980年代である。1985年にハワイで開かれた国際会議で、「うま味」が学術用語として認められた。2000年、アメリカの研究者が舌の味を感じる細胞にグルタミン酸に反応する受容体があることを報告し、2002年には、甘味の受容体と対になる形のうま味の受容体が突き止められた。こうして、うま味は第五の基本味として、体の仕組みの上でも裏づけられた。グルタミン酸はたんぱく質を作るアミノ酸の一つである。甘味が炭水化物、塩味がミネラルの存在を知らせ、苦味や酸味が毒や腐敗を警告するように、うま味はたんぱく質の存在を知らせる信号だと考えられている。人の母乳には、牛乳よりもずっと多くのグルタミン酸が含まれている。

うま味には、組み合わせると強まる性質もある。1913年、池田の弟子の小玉新太郎が、鰹節(燻す鰹節)のうま味の正体としてイノシン酸を見つけた。1957年には國中明が、干し椎茸のグアニル酸を見つけた。グルタミン酸とイノシン酸を混ぜると、うま味は足し算ではなく、何倍にも強まる。昆布と鰹節を合わせる日本の合わせだしは、経験からこれを使っていた。野菜と肉を煮込む西洋のブイヨン、トマトとチーズを重ねるイタリアの料理、魚醤を使う東南アジアの料理にも、同じ組み合わせが見られる。

輪切りのトマト
輪切りのトマトWikimedia Commons WiseMan42 · CC0

グルタミン酸ナトリウムには、長い悪評の時代もあった。1968年、アメリカの医学誌に、中華料理を食べた後に体調を崩したという投書が載り、「中華料理店症候群」という言葉が広まった。以後、この調味料は欧米で体に悪い添加物として嫌われた。しかしその後の対照試験では、ふつうに食べる量で症状との関係は示されず、国連の専門委員会も安全だと評価している。近年は、この騒ぎの背景にアジアの料理への偏見があったという指摘も繰り返されている。

池田の本業は、うま味ではなかった。彼はその後も物理化学の教授として研究を続け、1936年に71歳で死んだ。1985年、特許庁は日本の特許制度百年を記念して選んだ「十大発明家」の一人に、彼の名を挙げている。だしの味に名前を付けた一人の化学者の問いは、百年かけて、世界の生理学の教科書を書き換えた。

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