できごと

ベラスケス『ラス・メニーナス』

Las Meninas
AD1656年
重要度 5
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1656年の版図を描いています(24勢力)。

概要

画家が、大きなカンヴァスの裏側に立って、こちらを見ている。中央にマルガリータ王女と侍女たち。奥の鏡に、国王夫妻がぼんやり映る。つまり、描かれているのは、絵を見ている私たちの位置にいる国王夫妻。奥の扉には人影。誰が誰を見ているのかが、入れ子になっている。フーコーが『言葉と物』の冒頭で20ページ論じた。プラド美術館。

場所

マドリード
40.42°N -3.70°E · スペイン

関わった人(1)

ディエゴ・ベラスケスAD1599年6月6日–AD1660年8月6日 · 描いた

本文

1656年、マドリード、アルカサル王宮。ベラスケスは57歳。フェリペ4世の宮廷画家として33年目。

絵。3.18×2.76メートル。ほぼ等身大。

ベラスケス『ラス・メニーナス』
ベラスケス『ラス・メニーナス』Wikimedia Commons Diego Velázquez · Public domain

画面の構成。

中央に、5歳のマルガリータ・テレサ王女。両側に侍女(メニーナス)二人。一人が跪いて、赤い水差しの載った盆を差し出している。

1666年、父の喪に服すマルガリータ王女 (1651–73)。フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マソ作。背後には弟のカルロス2世と、『ラス・メニーナス』にも登場した小人のマリバルボラがいる。王女は同年スペインを出て、ウィーンで結婚した。
1666年、父の喪に服すマルガリータ王女 (1651–73)。フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マソ作。背後には弟のカルロス2世と、『ラス・メニーナス』にも登場した小人のマリバルボラがいる。王女は同年スペインを出て、ウィーンで結婚した。Wikimedia Commons Juan Bautista Martínez del Mazo · Public domain

右に、女の小人マリ・バルボラ(実在の宮廷の一員。名前が記録に残る)と、男の小人ニコラシート・ペルトゥサート。足で大きな犬を踏んでいる。

その後ろに、シャペロン(付き添いの女官)マルセラ・デ・ウリョアと、名前の分からない護衛。

フェリペ4世の娘マルガリータ王女部分。彼女の左頬は1734年の火事で損傷し、大がかりな補修が施された。
フェリペ4世の娘マルガリータ王女部分。彼女の左頬は1734年の火事で損傷し、大がかりな補修が施された。Wikimedia Commons Diego Velázquez · Public domain

左に、大きなカンヴァスの裏側。その前に、パレットと筆を持った画家自身。胸に、サンティアゴ騎士団の赤い十字(彼が叙されたのは1659年、この絵の3年後。後から描き加えられた。国王が自分で描いた、という伝説がある)。

奥。開いた扉に、光を背にして、王妃の侍従ホセ・ニエトが立っている。階段の途中で、こちらを振り返っている。

背後の壁にかかった鏡の拡大。
背後の壁にかかった鏡の拡大。Wikimedia Commons Public domain

そして、奥の壁の、扉の左。鏡がある。そこに、国王フェリペ4世と、王妃マリアナが、ぼんやりと映っている。

問題。鏡に映っている国王夫妻は、どこにいるのか。

マリア・デ・ソトマイヨール部分の拡大。ドレスを見ると、ベラスケスの筆のタッチが分かる。
マリア・デ・ソトマイヨール部分の拡大。ドレスを見ると、ベラスケスの筆のタッチが分かる。Wikimedia Commons Diego Velázquez · Public domain

(1)画家の前、つまり、いま私たちが立っている位置にいる。ベラスケスは、彼らの肖像を描いている。王女と侍女たちは、それを見に来た。 (2)鏡は、ベラスケスが描いているカンヴァスの表面を映している。つまり、描かれているのは国王夫妻の肖像画で、私たちが見ているのはその制作風景。

どちらの読みも成り立つ(幾何学的には、(1)のほうが自然だとする論と、(2)を支持する論の両方がある)。

『アルノルフィーニ夫妻像』(1483年)でヤン・ファン・エイクは、ベラスケスの『ラス・メニーナス』と同様の手法で、鏡に写った像を利用した。
『アルノルフィーニ夫妻像』(1483年)でヤン・ファン・エイクは、ベラスケスの『ラス・メニーナス』と同様の手法で、鏡に写った像を利用した。Wikimedia Commons Jan van Eyck · Public domain

つまり。私たちが絵を見ている位置は、国王夫妻の位置である。絵の中の全員が、私たちを見ている(王女も、侍女の一人も、小人も、画家も)。見られる者と見る者が、入れ替わる。

ミシェル・フーコー『言葉と物』(1966年)の第1章、全部がこの絵の分析。「この絵の中で、主体が欠けている。……表象が、その全ての要素とともに、そこに表象されている。しかし、それを可能にしている場所——王の位置、画家の位置、見る者の位置——は、空白である」。

ディエゴ・ベラスケスの自画像
ディエゴ・ベラスケスWikimedia Commons After Diego Velázquez / Juan Bautista Martínez del Mazo · Public domain

奥の壁の他の絵。ルーベンスの工房の作の模写(『アテナとアラクネ』『アポロとパン』)。どちらも、人間が神に技を競って、罰される話。

「ラス・メニーナス(侍女たち)」の題は、19世紀から。それ以前の王室の目録では「フェリペ4世の家族」あるいは「侍女たちとともに描かれた画家の肖像」。

ベラスケス。1599年、セビリア。パチェーコの工房で学び、その娘と結婚した。1623年、24歳でマドリードへ呼ばれ、フェリペ4世の肖像を描き、以後、王を描くのは彼だけと決められた。

宮廷での彼の仕事は、絵だけではなかった。王室の家具、部屋の割り当て、旅の宿の手配。1652年、宮内配室長(アポセンタドール・マヨール)。地位は上がり、描く時間は減った(生涯の作品は120点ほど)。

『ブレダの開城』(1635年。降伏する敵将の肩に、勝者が手を置いている。勝者は跪かせない)。『織女たち』。『教皇インノケンティウス10世』(1650年、ローマ。教皇は「あまりに真実だ(Troppo vero)」と言った。300年後、フランシス・ベーコンが、この絵を叫ぶ姿に描き変え続けた)。『鏡のヴィーナス』(スペインの異端審問下で、裸体画は極めて珍しい。1914年、ロンドンで女性参政権運動家に切りつけられた絵)。

1659年、サンティアゴ騎士団に列せられた(貴族の血統の証明が要り、審査に長くかかった。手仕事で報酬を得ていないことを証明しなければならなかった。画家であることが、障害だった)。

1660年、フランスとの王女の婚礼の儀式の準備で、ピレネーの国境の島へ。帰って、疲れて、8月6日に死んだ。61歳。妻が8日後に死んだ。

1734年、アルカサル王宮が焼けた。『ラス・メニーナス』は、額から外されて運び出された(そのとき縁が切られた)。いま、プラド美術館。

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