フェルメールの光
概要
確実な作品は30数点。死後200年ほぼ忘れられ、19世紀に再発見された。
場所
52.01°N 4.36°E · オランダ
関わった人(1)
ヨハネス・フェルメールAD1632年–AD1675年12月15日 · 当人本文
17世紀のネーデルラント連邦共和国は、スペインからの独立の戦いを続けながら、海の交易で世界の富を集めていた(オランダの黄金時代)。王や教会ではなく、商人や職人の市民が絵を買い、家の壁に飾った。風景、静物、町の人々の暮らしを描いた絵が、市場で売り買いされた。画家は数え切れないほどいて、レンブラント・ファン・レインのような大画家から、名も残らない職人まで、毎年膨大な数の絵が描かれた。
ヨハネス・フェルメールは1632年、ハーグとロッテルダムのあいだにある町デルフトに生まれた。父は絹織物の職人で、宿屋を営みながら画商もしていた。同じ年、同じ町で、のちに顕微鏡で微生物を発見するアントニ・ファン・レーウェンフックも生まれている。フェルメールがどこで誰に絵を学んだのかは、記録が無く分かっていない。1653年、21歳でカトリックの家の娘カタリーナと結婚し、同じ年にデルフトの画家の組合に親方として加わった。

若い頃のフェルメールは、聖書や神話を題材にした大きな絵を描いていた。1656年の日付を持つ『取り持ち女』のあたりから、画風が変わっていく。描かれるのは、室内の静かな一場面である。窓辺で手紙を読む女、牛乳を注ぐ女、楽器を弾く女、天秤を手にする女。ほとんどの絵で、左の窓から柔らかな光が差し込み、白い壁や布、肌、金属の器に当たっている。その光の反射と、光に溶ける輪郭の描き分けが、フェルメールの絵の最大の特徴とされる。
フェルメールは高価な顔料を惜しまず使った。とくに、アフガニスタン産の青い鉱石ラピスラズリから作るウルトラマリンは金より高いともいわれたが、彼の絵の青い服やターバンには、この顔料がふんだんに使われている。『真珠の耳飾りの少女』のターバンの青もその一つである。この絵は特定の人を描いた肖像画ではなく、異国風の衣装をつけた想像上の人物の顔を描く「トローニー」と呼ばれる種類の絵と考えられている。耳飾りが本当に真珠なのか、ガラスや錫のような別の素材なのかについても、議論がある。

フェルメールは筆が遅く、一年に描いたのは二、三点ほどだったと推定されている。地元のデルフトの裕福な収集家が絵を買い支えていたとされ、生涯に描いたのは50点前後とする見積もりがある。今日、確実にフェルメールの作とされる絵は30数点しかなく、失われたものも多いと考えられている。
カメラ・オブスクラという光学装置を使ったという説が、古くからある。暗い箱や部屋の小さな穴やレンズから入った光が、外の景色を壁に映す仕組みである。フェルメールの絵の、前景のものが大きく強調された遠近や、光の当たったところに浮かぶ小さな光の粒が、この装置の像に似ているとされる。ただし、フェルメールがこの装置を使ったという記録は無く、使ったとしても下絵の参考程度だったのか、深く頼っていたのかについて、研究者の意見は分かれている。

画家の暮らしは楽ではなかった。フェルメール夫妻には15人ほどの子が生まれ、11人が育ったとされる。一家は妻の母の家に住み、その援助に頼っていた。1672年、フランスがネーデルラントに攻め込み、国は危機に陥った。「災厄の年」と呼ばれるこの年から、絵の市場は冷え込み、画商もしていたフェルメールは収入の道を失った。1675年12月、フェルメールは43歳で急死した。妻は、夫が暮らしの不安から心を病み、一日か一日半のうちに亡くなったと書き残している。残された妻はパン屋への借金を夫の絵で支払い、翌年には破産を申し立てた。遺産の管財人には、同い年のレーウェンフックが任じられている。
死後、フェルメールの名は急速に忘れられた。絵そのものは残り、高く評価されることもあったが、別の画家の作として売られることが多かった。200年ほどのち、1860年代に、フランスの批評家トレ=ビュルガーがフェルメールの絵を探し出し、まとめて論じたことで、画家の名と作品が改めて世に知られるようになった。

20世紀に入るとフェルメールの人気は高まり、その名声を利用した贋作事件も起きた。第二次世界大戦中、オランダの画家ハン・ファン・メーヘレンは偽のフェルメールを描き、ナチス・ドイツの高官ゲーリングにまで売った。戦後、国の宝を敵に売った罪で捕らえられた彼は、あれは自分が描いた偽物だと告白し、監視のもとで実際に新しい偽物を描いてみせた。
今ではフェルメールは、世界で最も人気のある画家の一人である。2023年にアムステルダムの国立美術館で開かれた展覧会には、各地から28点が集められ、入場券はたちまち売り切れた。わずかな数の静かな絵が、なぜこれほど人を引きつけるのかは、それ自体が一つの問いになっている。