← 地図で見る
Event / できごと

日本の職業野球の始まり

Japanese Baseball League
1936年2月
重要度 3
大英帝国White Russia中国の軍閥イギリス領インド帝国Far Eastern SSRモンゴルManchuriaチベット日本ラタナコーシン朝(シャム)フランス領インドシナ安南フィリピンコーチシナ1936年2月東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている1936年2月の版図を描いています(14勢力)。

概要

日本の野球は、明治に伝わってから、学生の野球として人気を集め、甲子園の中等学校の大会や東京の大学野球が、大勢の観客を集めた。1934年、読売新聞は、ベーブ・ルースらの大リーグの選抜を日本に招いた。日本の選抜の若い投手、沢村栄治は、静岡の草薙球場で大リーグの強打者たちを相手に好投した。読売の社長、正力松太郎は、この選抜をもとに職業野球の球団を作った。1936年2月、7つの球団で日本職業野球連盟が結成され、春から試合が始まった。のちのプロ野球である。沢村は戦場に送られ、1944年に戦死した。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

野球は、1872年ごろ、アメリカ人の教師によって日本に伝えられた。明治の半ばからは、旧制の高校や大学の学生の間で盛んになり、正岡子規も熱心な選手だった(正岡子規)。1915年には全国の中等学校の野球大会が始まり、1924年に甲子園球場ができると(甲子園球場)、夏の大会は国民的な行事になった。東京の六大学の野球も大勢の観客を集めた。一方で、野球でお金を稼ぐことは、学生の野球の純粋さを汚すものとして、嫌われる空気があった。

1934年11月、読売新聞は、ベーブ・ルース(ベーブ・ルースのヤンキース移籍)やルー・ゲーリッグらの大リーグの選抜チームを日本に招いた。迎え撃つ日本の選抜チームは、学生の選手を中心に作られたが、文部省の通達で、学生がプロの選手と試合をすることは禁じられていたため、多くは社会人の選手や、学校をやめた選手だった。11月20日、静岡の草薙球場で、17歳の投手沢村栄治は、大リーグの強打者たちから9つの三振を奪い、ゲーリッグの本塁打による1点だけに抑えた。試合は負けたが、この好投は伝説になった。

読売新聞の社長、正力松太郎は、この日本の選抜チームをもとに、1934年12月、職業野球の球団「大日本東京野球倶楽部」を作った。のちの読売ジャイアンツである。チームは翌年、アメリカに遠征した。正力の呼びかけで、新聞社や鉄道会社が次々に球団を作り、1936年2月、7つの球団で日本職業野球連盟が結成された。4月から試合が始まった。

職業野球は、はじめ学生の野球ほどの人気はなかったが、少しずつ観客を増やしていった。だが戦争が激しくなると、英語の野球の言葉は「よし」「だめ」などの日本語に言い換えさせられ、多くの選手が戦地に送られた。沢村栄治は三度召集され、1944年12月、乗っていた輸送船が屋久島の沖で撃沈されて戦死した。27歳だった。プロ野球は1945年に中断した。

戦後、プロ野球はすぐに再開され、1950年にはセントラル・リーグとパシフィック・リーグの2リーグ制になった。テレビの中継とともに、長嶋茂雄や王貞治(756号)が国民的な英雄になり、野球は戦後の日本で最も人気のあるスポーツになった。毎年その年で最も活躍した先発の投手には、沢村の名を冠した沢村賞が贈られている。

同じ時代のできごと

ユトランド沖海戦AD1916年5月31日時計を一時間進めるAD1916年4月30日セルフサービスAD1916年9月6日バスマチ蜂起1916年イースター蜂起AD1916年4月24日ニューヨークのゾーニング条例AD1916年7月25日ソンムの戦いAD1916年7月1日サイクス・ピコ協定AD1916年5月16日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1936年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります
20世紀以降のできごと一覧 →人物一覧 →
歴史データベースとは? →