できごと

断種法

Indiana sterilization law of 1907
AD1907年
重要度 4
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドメキシコスペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国ニカラグアホンジュラスグアテマラAD1907年インディアナポリス
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1907年の版図を描いています(11勢力)。

概要

劣った者が子を残すから社会が悪くなる、という考えが、二十世紀の初めに学問の顔をして広まった。優生学である。アメリカのインディアナ州は、施設に収容された者のうち、治る見込みがないと判断された人に、本人の同意なく手術を施せる法を作った。世界で最初の強制断種の法である。やがて三十を超える州が続き、1927年には連邦最高裁が合憲と認めた。半世紀のあいだに六万人以上が手術を受けた。誰を「不適格」と決めるのかは、結局、貧しさや人種や施設にいるかどうかで決まった。

場所

インディアナポリス
39.77°N -86.16°E · アメリカ・インディアナ州

本文

劣った者が子を残すから社会が悪くなる。この考えに「優生学」という名を付けたのは、イギリスのフランシス・ゴルトンで、1883年のことだった。ゴルトンはチャールズ・ダーウィンの従弟にあたり、『種の起源』が示した進化の考えを、人間の改良に当てはめようとした。才能ある家系を調べ、優れた者どうしが多く子を持てば、人類はよくなると説いたのである。

優生学の理屈は、おおよそこう組み立てられていた。犯罪、貧困、病、知的な障害は、親から子へ遺伝する。ところが医療や救済が発達して、弱い者が生き延び、子を残すようになった。このままでは人類が劣化する。二十世紀の初め、遺伝の法則が再発見されて生物学が勢いづくなか、この理屈は大学の講座や学会を通じて、最新の科学として広まった。

1929年のスウェーデン王立委員会報告書の地図。当時断種法を施行していた米国の州を示す
1929年のスウェーデン王立委員会報告書の地図。当時断種法を施行していた米国の州を示すWikimedia Commons w:Harry H. Laughlin . · Public domain

どこが間違っていたのか。まず、遺伝の理解が粗かった。複雑な性質を一つの遺伝子で決まるかのように扱い、貧しさや犯罪を、育った環境ではなく血のせいにした。そして、誰が「優れて」いて誰が「劣って」いるかを決めるのは、いつも測る側だった。知能検査は英語の読み書きや中流の常識を前提にしていて、移民や貧しい人は低い点を取った。

アメリカでは、法より先に手術が始まっていた。インディアナ州の少年院の医師ハリー・シャープは、1899年ごろから、収容された若者に精管を切る手術を施していた。彼は手術が性格を落ち着かせ、劣った者が子を残すのを防ぐと主張し、州に法を求めた。1907年、インディアナ州議会は、州の施設に収容された「常習の犯罪者、白痴、強姦犯、精神薄弱者」のうち、専門家の委員会が改善の見込みが無く、子を持つことが望ましくないと判断した者に、手術を施せるとする法を作った。本人の同意は要らない。世界で最初の強制断種の法とされる。

強制断種に反対する集会のための英語・スペイン語二言語のポスター
強制断種に反対する集会のための英語・スペイン語二言語のポスターWikimedia Commons Rachael Romero, San Francisco Poster Brigade · Public domain

インディアナの法は、1921年に州の最高裁で、本人が争う機会を与えていないとして違憲とされた。だが流れは止まらなかった。各州は手続きを整えた法を次々と作り、1920年代の終わりまでに、二十を大きく超える州が断種の法を持った。そして1927年、連邦最高裁はバック対ベル事件で、ヴァージニア州の法を合憲と認めた。手術を命じられたキャリー・バックは、施設に入れられた17歳の女性だった。判決を書いたオリヴァー・ウェンデル・ホームズ判事は「三代続いた低能者で十分だ」と書いた。のちの調べで、キャリーは知的な障害を持っていなかったと考えられている。彼女の妊娠は、預けられた先の家の親族による性暴力の結果だったともいう。

判決のあと、手術の数は大きく増えた。1970年代までに、アメリカ全体で六万人を超える人が断種されたとされる。手術を受けたのは、施設にいた人、貧しい人、そして黒人や先住民や移民の女性に偏っていた。カリフォルニア州が最も多く、全体の三分の一ほどを占めた。誰を「不適格」と決めるのかは、結局、貧しさと人種と、施設にいるかどうかで決まったのである。

プエルトリコの地図
プエルトリコの地図Wikimedia Commons Public domain

この法を熱心に学んだ国がある。ドイツである。1933年、政権に就いたナチスは遺伝病子孫予防法を作り、アメリカの州法を手本の一つとした。ドイツでは数十万人が断種された。その先には、障害のある人を「生きるに値しない」として殺したT4作戦がある。断種は、福祉国家の北欧でも行われた。スウェーデンでは1934年から1970年代まで六万人を超える人が手術を受け、国が補償に踏み切ったのは1999年だった。

日本も同じ道をたどった。1940年に国民優生法、戦後の1948年に優生保護法ができ、「不良な子孫の出生を防止する」と条文に書かれた。本人の同意の無い不妊手術は、戦後のほうが多く、一万六千人を超える。この文言が削られ、法が母体保護法に改められたのは1996年である。2024年、最高裁は旧優生保護法を憲法違反と判断し、国に賠償を命じた。

インディアナ州が断種の法を廃止したのは1974年だった。優生学は、変わった人たちの思いつきではなかった。大学に講座があり、学会があり、進歩的とされる知識人や社会改良家が支持した。経口避妊薬につながる産児制限の運動にも、その言葉は入り込んでいた。物語「差別の歴史」で繰り返される形が、ここにもある。先に線が引かれ、後から理屈が足される。その理屈が、その時代のもっとも新しい学問の言葉で語られると、疑うことは難しくなる。

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