概要
艦隊を率いて浦賀に現れ、200年余り続いた鎖国を外から開かせた。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(2)
黒船来航1853年7月8日(嘉永6年6月3日) · 当人日米和親条約1854年3月31日(安政元年3月3日) · 交渉本文
インド洋回りで1年かけて日本へ来た。 途中、琉球と小笠原に寄り、 交渉が決裂した場合の拠点として使えるか調べている。
浦賀では、下級の役人としか会わないという幕府の方針を拒み、 大統領の国書は責任者に渡すと言って譲らなかった。 祝砲と称して空砲を撃つなど、 威圧の演出を意識的に使っている。
1年後に戻ると告げて去り、実際は半年後に来た。 準備の時間を与えないためになる。
日本側の記録は、 黒い船体と、風に逆らって進む蒸気船の様子を詳しく書き残した。 瓦版が大量に出回り、 江戸の庶民にとっても大事件だった。