トンキン湾事件

概要
駆逐艦マドックスが北ベトナムの魚雷艇と交戦した。2日後の二度目の「攻撃」は、なかった。ジョンソンは議会に決議を求め、下院は416対0、上院は88対2。「大統領は必要なあらゆる手段を」。宣戦布告なしの戦争が始まった。2005年、NSAの文書が「二度目はなかった」と認めた。
場所
19.50°N 107.00°E · ベトナム
本文
1964年の夏、南ベトナムの政府は、相次ぐクーデターと共産主義の勢力である解放戦線の攻勢で揺らいでいた。前年の11月、南ベトナムのジエム大統領はクーデターで殺され、その3週間後にはケネディ暗殺で、アメリカの大統領も代わっていた。後を継いだジョンソン大統領は、南ベトナムを見捨てるつもりは無かったが、11月の大統領選挙を前に、大規模な戦争に踏み込むことにも慎重だった。
その裏で、アメリカは北ベトナムへの秘密の作戦を進めていた。作戦計画34Aと呼ばれるもので、アメリカが用意した高速艇に乗った南ベトナムの特殊部隊が、北ベトナムの沿岸を襲撃する。これとは別に、アメリカの駆逐艦が北ベトナムの沖を航行し、沿岸のレーダーや通信を傍受する情報収集の哨戒も行われていた。駆逐艦マドックスは、その任務についていた。

7月30日から31日にかけての夜、34A作戦の艇が、トンキン湾にある北ベトナムの島を砲撃した。北ベトナムの側から見れば、その直後に沖合に現れたアメリカの駆逐艦は、襲撃と一体のものに見えた可能性が高い。
8月2日の午後、北ベトナムの魚雷艇3隻がマドックスに向かってきた。マドックスは先に警告の射撃を行い、魚雷艇は魚雷を放ったが、命中しなかった。マドックスの砲撃と、近くの空母タイコンデロガから飛び立った戦闘機の攻撃で、魚雷艇は損害を受けて退いた。マドックスに当たったのは機関銃の弾1発だけだった。ジョンソンは報復をせず、哨戒を続けるよう命じ、駆逐艦ターナー・ジョイを加えた。

8月4日の夜、2隻の駆逐艦は、悪天候の中で再び攻撃を受けたと報告した。レーダーに速い目標が映り、ソナーは魚雷の音を何度も捉えた。駆逐艦は数時間にわたって暗い海に向かって砲撃を続けた。だが、目で敵の艇を確かめた者はほとんどいなかった。まもなく、マドックスに乗っていた部隊の指揮官ヘリック大佐は、報告の多くは疑わしい、異常な天候とソナー員の過敏さによるものかもしれない、行動を取る前に完全な評価をするよう求める、という趣旨の電報を送った。
ワシントンは、待たなかった。北ベトナムの通信の傍受も、攻撃があった証拠と受け取られた。8月4日の夜、ジョンソンはテレビで国民に向かい、公海上でアメリカの艦艇が攻撃を受けたと発表し、報復の爆撃を命じたことを告げた。空母の艦載機が、北ベトナムの魚雷艇の基地と石油の貯蔵施設を爆撃した。

ジョンソンは議会に決議を求めた。合衆国議会は、大統領が軍の最高司令官として、合衆国の軍に対するいかなる武力攻撃も撃退し、さらなる侵略を防ぐために、必要なあらゆる措置を取ることを承認し支持する、という内容である。8月7日、下院は416対0、上院は88対2で、この決議を可決した。反対したのは、オレゴン州のモースとアラスカ州のグルーニングの二人の上院議員だけだった。モースは、この決議は宣戦布告の無い戦争を大統領に許すものだと警告した。
決議は、まさにそのように使われた。選挙に圧勝したジョンソンは、1965年の2月から3月にかけて、北ベトナムへの継続的な爆撃を始め、3月にはダナンに海兵隊を上陸させた。アメリカ軍の地上部隊は急速に増え、1960年代の終わりには南ベトナムに50万人を超えるアメリカ兵がいた。正式な宣戦布告は、最後まで一度も行われなかった。ベトナム戦争は、トンキン湾決議を法的な支えとして広がっていった。

8月4日の攻撃については、早くから疑いがあった。ジョンソン自身、のちに側近に、あの水兵たちは飛び魚を撃っていたのかもしれない、と漏らしたと伝えられる。1968年、上院外交委員会の委員長フルブライトは公聴会を開き、事件の経緯を問いただした。1971年に新聞が報じたペンタゴン・ペーパーズは、34A作戦の存在と、政府が事件以前から議会に決議を求める準備をしていたことを明らかにした。同じ年、議会はトンキン湾決議を廃止した。
決定的だったのは、2005年に公開されたアメリカ国家安全保障局の歴史家ロバート・ハニョクの内部研究だった。研究は、8月4日には北ベトナムの攻撃は無かったと結論づけ、攻撃の証拠とされた傍受の記録は、実際には8月2日の戦闘に関するものなどを取り違えたもので、都合の悪い情報は上へ報告されなかったと指摘した。8月2日の交戦は実際にあったが、報復と決議の直接の理由とされた8月4日の攻撃は、無かったのである。

ベトナム戦争の泥沼の反省から、議会は1973年に戦争権限法を作り、大統領が議会の承認なしに軍を長く戦闘に送ることに歯止めをかけようとした。だが2001年の9・11同時多発テロのあと、議会は再び、テロを行った者に対して大統領に必要かつ適切なあらゆる力を使うことを認める決議を可決した。その決議は、アフガニスタンをはじめ、20年以上にわたる各地での軍事行動の根拠として使われ続けた。広い白紙の委任を議会が大統領に与えるとき、トンキン湾の名がいまも引き合いに出される。この湾を、中国は北部湾と呼び、ベトナムはバクボ湾と呼ぶ。