概要
輸出の大半を魚に頼るアイスランドは、イギリスのトロール船に近海のタラを獲り尽くされることを恐れ、漁業の水域を広げていった。1958年に12カイリ、1972年に50カイリ、1975年に200カイリ。そのたびにイギリスは軍艦を送って自国の漁船を守り、アイスランドの沿岸警備隊は、トロール船の網を切る刃物で応じた。小さな巡視船と英国海軍のフリゲート艦が何度も体当たりし合った。人口二十数万の国はNATOからの脱退と米軍基地をちらつかせ、1976年、イギリスは200カイリを受け入れた。200カイリはのちに国連海洋法条約で世界の決まりになる。
場所
64.15°N -21.94°E · アイスランド
本文
アイスランドの輸出の大半は魚だった。とくにタラは国の暮らしそのものだった。ところが20世紀の半ば、イギリスやドイツの大きなトロール船がアイスランドの近海に押し寄せ、魚が減っていった。当時、国が自分のものだと言える海は、岸から3カイリ(およそ5.5キロ)ほどに限られていた。
1958年、アイスランドは漁業の水域を12カイリに広げた。イギリスは認めず、海軍の艦艇をつけて自国のトロール船に漁を続けさせた。アイスランドの沿岸警備隊は、トロール船を追い回し、警告の砲を撃った。これが第一次のタラ戦争で、1961年にイギリスが12カイリを認めて収まった。
1972年、アイスランドは水域を50カイリに広げ、第二次のタラ戦争が始まる。沿岸警備隊は、トロール船が引く網の綱を断ち切る刃物を使い始めた。網を失えば漁にならない。英国海軍はフリゲート艦を送り込み、小さな巡視船と大きな軍艦が、互いの船腹をぶつけ合った。1975年の第三次では、アイスランドは200カイリを宣言した。
アイスランドには軍隊が無い。だが、北大西洋の真ん中にあるケプラヴィークの米軍基地は、ソ連の潜水艦を見張るNATOの要だった。アイスランドは、イギリスと国交を断ち、NATOから抜けることも辞さない構えを見せた。アメリカとNATOの仲立ちで、1976年6月、イギリスは200カイリの水域を受け入れた。三度の戦争で、死者はほとんど出なかった。
200カイリの水域は、1982年の国連海洋法条約で、排他的経済水域として世界の決まりになった。いっぽう、遠い海での漁場を失ったイギリスのハルやグリムズビーの港町では、トロール漁業が衰え、多くの漁師が職を失った。