概要
1212年、フランスとドイツで、聖地エルサレムを取り戻すため、武器ではなく信仰の力で東へ向かおうという若者たちの群れが現れた。フランスでは羊飼いの少年ステファヌスが王に会いに行き、ドイツではケルンの少年ニコラウスが数千人を率いてアルプスを越え、イタリアのジェノヴァに着いた。海が二つに割れて聖地へ渡れると信じていたが、海は割れず、群れは散り散りになった。帰る途中で飢えや病で倒れた者も多い。後の年代記は、奴隷として売られた子どもたちの話を伝えるが、確かではない。「少年」と記された人々の多くは、子どもではなく、貧しい若者だったとも考えられている。
場所
44.41°N 8.95°E · イタリア・リグーリア州
本文
1095年の教皇の呼びかけ(十字軍の呼びかけ)から始まった十字軍は、一度はエルサレムを取ったが、1187年にサラディンに奪い返された。その後の十字軍は聖地を取り戻せず、1204年の第4回十字軍は、同じキリスト教徒の都コンスタンティノープルを略奪した。騎士たちの欲と罪が神の怒りを招いたのだ、清らかな者でなければ聖地は取り戻せない、という考えが人々の間に広まっていた。
1212年の春、フランスのシャトーダンの近くのクロワで、羊飼いの少年ステファヌスが、イエスから国王あての手紙を授かったと言い出した。彼のもとには若者たちが集まり、パリの近くのサン=ドニに向かった。国王フィリップ2世は、家に帰るよう命じたという。同じころ、ドイツのラインラントでは、ケルンの少年ニコラウスが、聖地へ向かおうと呼びかけ、数千人の若者と貧しい人々がこれに従った。
ニコラウスの一行は、夏のアルプスを越えた。山道で多くが飢えと寒さに倒れた。8月、生き残った人々はイタリアの港町ジェノヴァに着いた。彼らは、モーセの前で紅海が割れたように、海が割れて歩いて聖地へ渡れると信じていた。だが海は割れなかった。ジェノヴァの町の人々は、一部の若者が残って住むことを許したが、多くの者は散り散りになり、ローマへ向かった者や、故郷へ戻ろうとして道中で倒れた者もいた。
数十年後に書かれた年代記は、マルセイユから船に乗った子どもたちが、悪い商人にだまされて、北アフリカで奴隷として売られたと伝えている。だが、この話は時代の近い記録には見えず、どこまで本当かは分からない。少年十字軍の話は、のちに多くの伝説と物語を生み、ハーメルンの笛吹き男の伝説と結びつけて語られることもある。
近年の研究では、当時の記録が「プエリ(少年たち)」と呼んだ人々は、必ずしも子どもではなく、羊飼いや日雇いの労働者など、家を持たない貧しい若者や大人も多く含んでいたと考えられている。それでも、武器を持たず、信仰だけを頼りに聖地へ向かおうとした若者の群れの話は、中世の人々の信仰の熱と、その悲劇を伝えるものとして語り継がれてきた。