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Event / できごと

『ニーベルンゲンの歌』

Nibelungenlied
AD1200年頃
年に諸説あり重要度 5

概要

ジークフリート、クリームヒルト、ブリュンヒルト、ハーゲン、グンター、エッツェル(アッティラ)。ライン川のヴォルムスと、ドナウの向こうのフン族の宮廷。竜の血、隠れ蓑、宝、槍で背中を刺され、復讐で全員が死ぬ。5世紀のブルグント族の滅亡と、ゲルマンの神話が、宮廷の叙事詩になった。パッサウの司教の周りで書かれた、と言われる。ワーグナー、ヒトラー(「ニーベルンゲンの忠誠」)、フリッツ・ラング。

場所

パッサウ
48.57°N 13.46°E · ドイツ

本文

史実。5世紀。ブルグント族がライン中流のヴォルムスの周りに王国を作った(413年頃)。437年、ローマの将軍アエティウスが雇ったフン族が潰した。王グンダハリ(グンター)と2万人が死んだ。アッティラ(エッツェル)は453年、ゲルマンの娘イルディコとの婚礼の夜に鼻血で窒息して死んだ。メロヴィング家の王妃ブルンヒルデとフレデグンデの争い。竜殺しのシグルズ(『エッダ』『ヴォルスンガ・サガ』)。

これらが混ざって口で伝えられ、1200年頃、中高ドイツ語で書かれた。作者は不明。パッサウの司教ヴォルフガー・フォン・エルラの周りで、と考えられる(10世紀のパッサウの司教ピルグリムが話の中で活躍する)。約2400の詩節(4行、「ニーベルンゲン詩節」)。写本37。最後の行が、A・B写本は「ニーベルンゲンの災い(ノート)」、C写本は「ニーベルンゲンの歌(リート)」。

第1部。ジークフリート(竜を殺してその血を浴び、不死身になった。背中の菩提樹の葉が落ちた所だけを除いて。ニーベルンゲンの宝と隠れ蓑を取った)が、ヴォルムスのクリームヒルトを求めて来る。兄グンター王は、ジークフリートの助けでアイスランドの女王ブリュンヒルトを得る。ジークフリートが隠れ蓑で代わりに競技に勝ち、婚礼の夜も代わりに組み伏せて、帯と指輪を取る。10年後、大聖堂の前で二人の王妃が「どちらの夫が上か」で争い、クリームヒルトが帯と指輪を見せる。「あなたは私の夫の妾だった」。グンターの家臣ハーゲンがジークフリートを殺すと決める。クリームヒルトは夫を守るつもりで背中の急所を教える。狩り。泉で水を飲むジークフリートを、ハーゲンが背中から槍で。遺体を、クリームヒルトの部屋の戸口に置く。ハーゲンは宝をラインに沈める。

第2部。13年後、クリームヒルトはフン族の王エッツェルと再婚する。さらに13年後、兄たちとハーゲンを招く。ドナウ。ハーゲンは水の精から「一人も帰れない」と聞いて、渡し守を殺し、船を壊す。エッツェルの宮廷。ハーゲンはエッツェルとクリームヒルトの幼い息子の首を食卓で刎ねる。広間の戦い。ブルグントは千人以上を殺し、火をつけられ、血を飲んで凌ぐ。ディートリヒ・フォン・ベルンがグンターとハーゲンを捕らえる。クリームヒルトはグンターの首を切らせ、ハーゲンに宝の場所を聞く。「主君が死んだ今、誰にも言わない」。クリームヒルトはジークフリートの剣バルムンクでハーゲンの首を切る。老ヒルデブラントが「女が英雄を殺すのを見ていられない」と彼女を切り殺す。エッツェルとディートリヒが泣く。

「忠誠(トリウエ)」。ハーゲンはグンターに忠実で、そのために殺す。クリームヒルトは夫に忠実で、そのために兄弟を殺す。全員が正しく、全員が死ぬ。

1755年、ホーエネムスで写本Cが見つかった。フリードリヒ大王は「火薬1袋の価値もない」。ロマン派が「ドイツのイリアス」と呼んだ。ワーグナー『ニーベルングの指環』(主に北欧の『エッダ』から)。フリッツ・ラング(1924年)。ヒンデンブルクの「背後の一突き」伝説、ゲーリングが1943年にスターリングラードの第6軍に送った「ニーベルンゲンの戦い」の電報。1945年以後、ドイツはこの歌を扱いかねている。

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