『ニーベルンゲンの歌』

概要
ジークフリート、クリームヒルト、ブリュンヒルト、ハーゲン、グンター、エッツェル(アッティラ)。ライン川のヴォルムスと、ドナウの向こうのフン族の宮廷。竜の血、隠れ蓑、宝、槍で背中を刺され、復讐で全員が死ぬ。5世紀のブルグント族の滅亡と、ゲルマンの神話が、宮廷の叙事詩になった。パッサウの司教の周りで書かれた、と言われる。ワーグナー、ヒトラー(「ニーベルンゲンの忠誠」)、フリッツ・ラング。
場所
48.57°N 13.46°E · ドイツ
本文
この叙事詩の底には、800年前の民族移動の時代の記憶が沈んでいる。5世紀のはじめ、ゲルマン人の一派ブルグント族が、ライン川の中流、ヴォルムスのあたりに王国を築いた。ローマの将軍アエティウスは、この勢力を抑えるためにフン族の傭兵を差し向け、436年から437年にかけて王国は滅ぼされた。王グンダハリと多くの民が死んだと記録されている。このグンダハリが、詩の中のグンター王になる。フン族の王アッティラは、のちに453年、ゲルマンの娘イルディコとの婚礼の夜に急死した(アッティラの死)。花嫁が王を殺したのだという噂が、すでに当時からささやかれた。さらに6世紀のフランク王国では、二人の王妃ブルンヒルドとフレデグンドが激しく争った。そこへ、北欧の神話や伝説に残る竜殺しの英雄シグルズの物語が絡みあう(その北欧側の姿はアイスランドのスノッリ『エッダ』などに伝わる)。
こうした史実と伝説が、何百年ものあいだ歌い手の口から口へと伝えられ、形を変えていった。1200年ごろ、それが中高ドイツ語の長大な叙事詩として書き留められた。作者の名は分からない。ドナウ河畔の司教座都市パッサウの司教ヴォルフガー・フォン・エルラ(在位1191〜1204年)の周辺で書かれたと考えられている。詩の中に、10世紀のパッサウ司教ピルグリムが、ヒロインの叔父として好意的に登場することが、その手がかりの一つである。全体は4行で1節をなす独特の詩形(ニーベルンゲン詩節)で書かれ、およそ2400節に及ぶ。断片を含めて30を超える写本が残り、主要な写本の最後の一行は「これがニーベルンゲンの災いである」と結ばれる。別の系統の写本は、これを「ニーベルンゲンの歌」としている。

前半の主人公はジークフリートである。ネーデルラントの王子で、竜を殺してその血を浴び、刃を通さない体になった。ただし、浴びるときに背中に菩提樹の葉が一枚落ちていて、その一点だけが急所として残った。彼はまた、ニーベルンゲン族の財宝と、身につけると姿を消せる隠れ蓑を手に入れていた。この英雄が、ヴォルムスの王グンターの妹で美しいクリームヒルトに求婚しにやってくる。
グンターは、遠い北の国の女王ブリュンヒルトを妻に望んでいた。彼女は、力くらべで自分に勝った男としか結婚しない。ジークフリートは隠れ蓑で姿を消してグンターの代わりに競技に勝ち、さらに婚礼の夜、夫を拒んで縛り上げてしまう彼女を、再び姿を隠して組み伏せた。その際、彼は彼女の帯と指輪を持ち去り、妻となったクリームヒルトに与えてしまう。

10年あまりのち、ヴォルムスの大聖堂の前で、二人の王妃はどちらが先に入るかで言い争った。どちらの夫が上か、という争いである。クリームヒルトは帯と指輪を見せ、ブリュンヒルトを最初に女にしたのは自分の夫だと辱めた。グンターの重臣ハーゲンは、王妃の名誉を汚したジークフリートを殺すと決める。ハーゲンは夫の身を案じるクリームヒルトから、戦場で守るためだと言って背中の急所を聞き出し、そこに十字の印を縫い付けさせた。狩りの途中、泉の水を飲もうと身をかがめたジークフリートの背中の印を、ハーゲンは槍で貫いた。遺体はクリームヒルトの部屋の戸口に置かれた。ハーゲンは、未亡人が財宝で味方を集めるのを恐れ、ニーベルンゲンの宝をライン川の底に沈めた。
後半は復讐の物語である。13年の喪のあと、クリームヒルトはフン族の王エッツェル(アッティラ)の求婚を受け入れ、ドナウの彼方へ嫁ぐ。そこでさらに13年を過ごしたのち、彼女は兄たちとハーゲンを宮廷に招いた。ハーゲンは道中、ドナウの水の精から、王の礼拝堂付きの司祭を除いて一人も生きて帰れないと告げられる。彼は試しに司祭を川に投げ込み、司祭だけが岸に泳ぎ着くのを見て、予言が真実だと知った。それでも一行は引き返さず、ハーゲンは帰りのない旅の覚悟として、渡った船を打ち壊した。

エッツェルの宮廷で、宴はやがて殺し合いになる。ハーゲンは食卓でエッツェルとクリームヒルトの幼い息子の首を斬り落とした。ブルグントの戦士たちは広間に立てこもってフン族の軍勢と戦い、火を放たれると、渇きをしのぐために倒れた者の血を飲んで戦い続けた。エッツェルに仕える辺境伯リュエデゲールは、主君への誓いとブルグントの客人への友情の間で引き裂かれ、ついには主君の命に従って戦い、友と相討ちになって死ぬ。最後に、エッツェルのもとに身を寄せていたディートリヒ・フォン・ベルン(東ゴートの王テオドリック大王が伝説化した姿)が、疲れ果てたグンターとハーゲンを捕らえた。
クリームヒルトはハーゲンに、宝のありかを言えと迫る。ハーゲンは、主君が一人でも生きているかぎり誰にも明かさないと誓ったと答える。クリームヒルトは兄グンターの首を斬らせ、それをハーゲンの前に差し出す。ハーゲンは、これで宝のありかを知るのは神と自分だけになった、おまえには決して言わない、と言い放つ。クリームヒルトはかつての夫ジークフリートの剣を抜いて、ハーゲンの首を自ら刎ねた。それを見たディートリヒの老臣ヒルデブラントは、女の手で英雄が殺されるのを許せず、クリームヒルトを斬り殺す。生き残ったエッツェルとディートリヒは、死者の山を前に泣く。

この詩を貫いているのは、主君や夫への「忠誠」である。ハーゲンは主君の名誉のためにジークフリートを殺し、クリームヒルトは夫への誠のために兄弟を滅ぼし、リュエデゲールは誓いのために友と刺し違える。それぞれがおのれの義務に忠実であるほど、破滅は避けられなくなる。騎士道の宮廷の華やかな衣装をまといながら、物語の芯にあるのは古いゲルマンの復讐の掟である。
その後、この詩は長く忘れられた。1755年、オーストリアのホーエネムスの城で写本が見つかり、やがて刊行された。プロイセンのフリードリヒ大王は、献呈された刊本について、火薬一発の値打ちもないと冷たく言い放ったと伝えられる。しかし19世紀のロマン主義の時代になると、この詩は「ドイツのイリアス」と呼ばれ、統一を求める民族意識の象徴に祭り上げられた。リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』(バイロイトと『指環』)も同じ伝説を素材にしているが、筋の多くは北欧の伝承から取られている。1924年にはフリッツ・ラングが二部作の映画にした。

政治に利用された影も濃い。第一次世界大戦のあと、敗戦の責任を国内の裏切りに求める「背後からの一突き」の伝説は、ジークフリートを背中から刺したハーゲンの姿に重ねて語られた。1943年1月、スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍が全滅に向かっていたとき、ゲーリングは演説で、彼らをエッツェルの広間で最後まで戦ったニーベルンゲンになぞらえた。そうした歴史を経て、戦後のドイツは、この詩を誇るべき古典として、同時に慎重に扱うべき遺産として読んでいる。2009年、主要な3つの写本はユネスコの「世界の記憶」に登録された。