タンジャーヴールの大寺院
概要
高さ60メートルを超える塔を、モルタルを使わずに組んだ。頂上の石は80トンある。壁の碑文に、寄進の内訳と雇われた人の給与まで刻まれている。
場所
10.79°N 79.14°E · インド・タミルナードゥ州(チョーラ朝)
関わった人(1)
ラージャラージャ1世?–AD1014年 · 建立本文
南インドのタミルの地は、カーヴェーリ川がベンガル湾へ注ぐ広いデルタを抱えている。水路が張りめぐらされた米どころで、ここを根拠にしたチョーラ朝は、9世紀に再び力を伸ばし始めた。985年ごろに即位したラージャラージャ1世は、南のパーンディヤ朝や西のケーララの諸王を破り、海を越えてスリランカの北部を征服し、モルディブの島々にまで兵を送った。南インドの大半を一つの王のもとにまとめた、チョーラ朝の最初の大王である。
その王が、都タンジャーヴールにシヴァ神のための寺院を建てた。ラージャラージェーシュヴァラ、「ラージャラージャの主」と名付けられ、いまはブリハディーシュヴァラ寺院と呼ばれる。王の治世の25年目、1010年ごろに完成し、塔の頂に金をかぶせた飾りが据えられたことが碑文に記されている。

中心の本殿の上に立つ塔(ヴィマーナ)は、高さがおよそ60メートルある。南インドの寺院では、のちの時代になると門の塔(ゴープラム)のほうを高くするようになるが、この寺院では本殿そのものが天に向かってそびえる。四角い基壇の上に13層ほどの段が積み重なり、上へ行くほど細くなって、頂に八角形の丸い冠石が載る。塔は花崗岩の石を積み上げて作られ、石と石を接着するモルタルは使われていないとされる。この地方のデルタには岩山がほとんどなく、石は遠くから運ばれてきたと考えられている。
頂の冠石は、一つの石で重さ80トンあるとよく言われる。どうやって60メートルの高さまで上げたのか。町の外れから数キロにわたる長い斜面を土で築き、象と人の力で引き上げたという話が広く語られているが、それを書き残した同時代の記録はない。冠石が本当に一枚の石なのか、いくつかの石を組み合わせたものなのかについても、意見が分かれている。正午には塔の影が地面に落ちないという話もよく知られているが、実際には季節によって影は落ちる。

境内には、一つの岩から彫り出された巨大な牡牛ナンディの像が本殿に向かって伏している。本殿の周りの回廊の壁には、11世紀のチョーラ朝の壁画が残っていた。後の時代に上から描き直された絵の下から、1930年代に見つかったもので、踊る女たちやシヴァ神の物語が描かれている。設計と建築を指揮した棟梁の名も、碑文に記されている。
この寺院を、ほかの大寺院と分けているのは、壁という壁に刻まれた碑文である。そこには、王と王妃、家臣たちが寺に何を寄進したかが、品目ごとに細かく記されている。金の器、宝石をはめた飾り、神像、そして寺を支えるための土地と村々。どの村が、毎年どれだけの米をこの寺に納めるかまで書き込まれた。

碑文はさらに、寺で働く人々の名と務めを記している。王は国じゅうの寺から集めた400人の寺院の舞姫を、寺の周りの二筋の通りに住まわせ、一人ひとりに家と、一定の米の取れる土地の取り分を与えた。ほかにも、踊りの師匠、歌い手、太鼓や笛の楽師、会計係、仕立て屋、金細工師、灯明の番、大工、洗濯係など、数百人の働き手の名と、それぞれが受け取る取り分が刻まれている。寺に寄進された金や家畜が、村の集会に貸し出され、利子として米や油が寺に納められた記録もある。11世紀の南インドの社会と経済を、これほど細かく伝える記録はほかにあまりない。
寺院は、神を祀る場所であると同時に、土地を持ち、人を雇い、金を貸し、祭りを開く、その地域で最大の経済の担い手だった。王は、それほど大きな寺を建て、国じゅうの富をそこに集めることで、自らの力を目に見える形で示した。王の守護神シヴァへの信仰は、タミルの地で数百年前から広がっていたバクティ運動の流れの中にあり、寺では信仰の讃歌が歌い継がれた。

ラージャラージャの子ラージェーンドラ1世は、さらに北のガンジス川まで遠征し、新しい都ガンガイコンダチョーラプラムに、父の寺にならった大寺院を建てた。チョーラの艦隊はベンガル湾を越え、チョーラのシュリーヴィジャヤ遠征でマラッカ海峡の港々を襲っている。タンジャーヴールの大寺院は、南インドの海と陸を結んだ王朝の絶頂を示す建物として、1000年以上を経たいまもシヴァ神を祀る寺として使われ続けている。1987年に世界遺産に登録された。