ベニン王国の青銅器
概要
精緻な鋳造で王宮を飾った。のちに英軍が略奪し、いまも各国の博物館で返還が議論されている。
場所
6.33°N 5.60°E · ナイジェリア
本文
いまのナイジェリアの南部、ニジェール川の西の森の中に、エドの人々のベニン王国があった。西隣のいまのベナン共和国とは名前が似ているが、別の国である。都はいまのベニンシティで、オバと呼ばれる王が治めた。王国は13世紀ごろまでにはまとまりを見せ、15世紀の半ばに即位したオバ・エウアレの時代に、都を大きな土の壁と堀で囲み、周りの土地を従えて大きく広がった。西の海岸の潟湖にあったラゴスの町も、長くベニンに貢ぎ物を納めていた(ラゴスとベニン湾の交易)。
ベニンの王宮を飾ったのが、のちに「ベニン・ブロンズ」と呼ばれるようになる金属の彫刻である。ブロンズ(青銅)と呼ばれるが、分析すると、多くは銅に亜鉛を混ぜた真鍮でできている。王の頭像、王母の像、豹や雄鶏などの動物、そして王宮の柱を覆った数百枚の飾り板。象牙の彫刻とともに、王の権威を示す品々だった。

作り方は、ロストワックス法と呼ばれる。まず粘土で芯を作り、その上に蝋で細かい形を作り込む。それを粘土で覆って焼くと、蝋が溶けて流れ出し、中に蝋の形どおりの空洞が残る。そこに溶かした金属を流し込み、冷えてから外の粘土を割る。一つの型からは一つの作品しかできない。ベニンの職人は、髪の編み目や首飾りのビーズの一粒一粒まで、驚くほど細かく作り上げた。
伝承では、鋳造の技術は、北西にあるヨルバの聖なる都イフェ(イフェの頭像)から伝わったという。13世紀の末ごろ、オバのオグオラが、イフェから鋳造の名人イグエガを招いたと語られている。王宮の近くには鋳造師たちのギルドが置かれ、王のためだけに作品を作った。そのギルドは、いまもベニンシティで鋳造を続けている。
15世紀の終わり、ポルトガルの船がベニンの海岸に来た。同じころ、さらに南のコンゴ王国にもポルトガル人が現れている(コンゴ王国とポルトガルの接触)。ベニンは、胡椒や象牙、布、そして人を売り、代わりにヨーロッパの品々を手に入れた。その中に、マニラと呼ばれる馬蹄形や腕輪形の真鍮の地金があった。西アフリカでは貨幣のように使われ、ベニンでは溶かして彫刻の材料になった。16世紀から17世紀に金属の作品が大きく増えたのは、この交易で材料が大量に入ってきたためと考えられている。マニラは奴隷の取引の支払いにも使われたため、この美術品の輝きは、大西洋をめぐる人の売買(大西洋奴隷貿易)とも切り離せない。ただし、ベニンは長い間、王国の男子を売ることを禁じていた時期もあり、奴隷の交易との関わり方は時代によって違った。

王宮の柱を飾った飾り板には、オバと従者、戦士、楽師、儀式の場面、そしてヨーロッパ人の姿まで描かれている。長い髪と髭を持ち、鉄砲を手にしたポルトガルの兵士の姿は、ベニンの人々が異国の訪問者をどう見たかを伝えている。王が死ぬと、次の王は先王のための頭像を作らせ、祭壇に祀った。文字を使わなかったこの王国で、彫刻は王家の歴史と儀礼を伝える記録の役目も果たした。16世紀の初めのオバ・エシギエが、戦で功のあった母イディアのために作らせた像は、とくに名高い。
19世紀の末、イギリスはこの地域の交易を自分の手に握ろうとしていた。ベニンの王は、外国の商人との取引を自ら管理し、イギリスの求める自由な交易を拒んでいた。1897年1月、イギリスの代理の総領事フィリップスが、王に会うためにベニンへ向かった。ちょうど王が祭りの最中で外国人を迎えられないと伝えられていたが、一行は進み、途中でベニンの兵に襲われてほとんどが殺された。
その報復として、2月、イギリスは1000人を超える兵の懲罰遠征隊を送った。都は攻め落とされ、王宮は略奪され、そのあと火災で焼け落ちた。オバのオヴォンラムウェンは捕らえられ、遠くのカラバルへ流されて、そこで死んだ。王国はイギリスの保護領に組み込まれた。
遠征隊は、王宮や祭壇から金属の彫刻と象牙を根こそぎ持ち去った。その数は3000点とも、1万点を超えるとも言われ、正確には分からない。一部は遠征の費用をまかなうためにロンドンで競売にかけられ、大英博物館やドイツのベルリンの博物館をはじめ、ヨーロッパとアメリカの博物館や個人の収集家の手に散った。ヨーロッパの人々は、アフリカにこれほど精巧な美術があることに驚き、その起源を外から伝わったものと考えようとする人もいたが、やがてベニンの職人の手によるものと認められていった。

ナイジェリアは1960年の独立の前後から、これらの返還を求めてきた。21世紀に入って、その声に応える動きがようやく広がった。2022年、ドイツはナイジェリアと合意し、国内の博物館が持つ1100点あまりのベニン・ブロンズの所有権を移すことを決めた。アメリカのスミソニアンの博物館や、イギリスの大学や博物館の一部も返還を行っている。一方、最も多くを持つ大英博物館は、法律で収蔵品を手放すことができないとして、返還には応じていない。
返された作品を誰が持ち、どこに置くのかをめぐっても議論がある。ナイジェリア政府は、返還された作品は現在のオバに属すると定め、博物館で公開を続けるのかどうかが問われることになった。王宮の飾りとして作られ、略奪で世界に散り、博物館の美術品として見られてきた作品が、いま再び、誰の歴史なのかを問われている。