できごと

ハウサ諸都市とカノ

Hausa Kingdoms
AD11〜15世紀
年に諸説あり重要度 3
バントゥー系の人びとティムール朝西アフリカの穀作農民マムルーク朝マリ帝国ハフス朝エチオピア帝国マダガスカルオスマン帝国マクリアカスティーリャ王国カネム=ボルヌイスラムの都市国家群ハドラマウトセルジューク朝モロッココンゴ王国イエメンアラゴン王国アルワシチリア王国ポルトガルベナンBeylik of Aydin東ローマ帝国ヴェネツィア共和国AD11〜15世紀カノ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD11〜15世紀の版図を描いています(26勢力)。

概要

城壁に囲まれた交易と手工業の都市が並んだ。藍染めの穴が今も残る。帝国にまとまらないまま、サハラ交易の南の端として数百年続いた。

場所

カノ
12.00°N 8.59°E · ナイジェリア

本文

いまのナイジェリア北部からニジェール南部にかけて、ハウサ語を話す人々の都市がいくつも並んでいた。カノ、カツィナ、ザザウ(ザリア)、ゴビル、ダウラ、ラノ。ハウサの人々自身は、その始まりをこう語る。遠く東から来た英雄バヤジッダが、ダウラの井戸に棲む大蛇を退治して女王と結ばれ、その子や孫が七つの国を開いた。もちろん伝説だが、諸都市が自分たちを一つの家族と見ていたことを伝えている。

都市の歩みを伝えるのが、「カノ年代記」である。11世紀ごろとされるバガウダから歴代の王を並べ、それぞれの王の事績を記す。19世紀にまとめられた文書で、古い時代の年代は確かではないが、城壁を築き、周りの村々を従え、市を開いていく過程が読み取れる。

19世紀のソコト帝国の地図
19世紀のソコト帝国の地図Wikimedia Commons WikiEditor2004 · CC0

カノの城壁は日干し煉瓦で築かれ、何度も外へ広げられて、周囲は14キロほどに及んだ。城壁の内側には、市や住まいだけでなく畑や水場まで取り込まれていた。包囲されても中で食べていけるように作られていたことになる。いまも一部が残る。

14世紀、西のマリ帝国(マリ帝国の成立)から来た商人たちがイスラームを伝えた。15世紀後半の王ムハンマド・ルムファの時代、カノは大きく伸びる。城壁を広げ、大きな市を開き、北アフリカから来た法学者マギーリーを迎えて、イスラームの法に沿った統治の助言を受けた。マギーリーが王に宛てて書いた統治の心得は、今も伝わっている。ルムファの時代に開かれたと伝えられるクルミの市は、いまも町の真ん中で開かれている。

カノ中央モスク
カノ中央モスクWikimedia Commons Usmanmaifada · CC0

16世紀の初めには、フェズで育った旅行家レオ・アフリカヌスが、カノを城壁に囲まれた富裕な町として記している。商人と職人が多く、周りの土地は穀物や綿を産するという。彼の記述は誇張や混乱もあるとされるが、ハウサの町がサハラの北にまで知られていたことを示す。ルムファが建てた王宮は、いまもカノの首長の宮殿として使われている。

産業があった。まず藍染めの布である。地面に深い穴を掘って藍と灰汁を溜め、布を何度も浸しては干す。カノの城門の近くの染め場は15世紀末から続くと伝えられ、今も職人が布を染めている。19世紀半ばにカノを訪れたドイツの探検家バルトは、この町の布がサハラの向こうまで、また西アフリカの広い範囲に出回っていると書いた。

19世紀のカノの風景(マイヤーズ百科事典)
19世紀のカノの風景(マイヤーズ百科事典)Wikimedia Commons Meyer’s Universum, oder Abbildung und Beschreibung des Sehenswerthesten und Merkwürdigsten der Natur und Kunst auf der g · Public domain

革製品も名高かった。山羊の革をなめして赤や黄に染め、袋や履物、馬具に仕立てる。それがサハラを越えて北アフリカの港へ渡り、ヨーロッパでは「モロッコ革」の名で売られた。その多くは、実際にはハウサの地で作られたものだったとされる。

ハウサの諸都市は、一つの帝国にまとまらなかった。互いに競い、ときに戦い、周りの強国に貢ぎ物を納めもした。東のカネム=ボルヌ(カネム=ボルヌの隆盛)、西のソンガイ(アスキア・ムハンマドのソンガイ)の圧力を受け、ザザウでは16世紀に女王アミナが遠征を重ねたと伝えられる(アミナ女王のザザウ)。それでも、サハラ交易の南の端として塩と金、布と革、そして奴隷が行き来する町は、数百年にわたって続いた。

アミナ女王のザザウに関わる図版:Siyer-i Nebi The birth of Muhammad
アミナ女王のザザウWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

交易路は、カノから北へ、アガデスやガート、ガダーメスを経て地中海岸のトリポリへ延びていた。北からは塩、馬、武器、書物が来て、南からは布、革、コーラの実、そして人が運ばれた。ハウサの町は、奴隷を売る側にも、狩る側にも、使う側にも立っていた。その事実も、町の豊かさと切り離せない。

19世紀の初め、ゴビルから起こったウスマン・ダン・フォディオの聖戦が諸都市の王たちを倒し、ソコトのカリフ国(ソコト帝国の成立)のもとでカノは首長国の一つになった。1903年にはイギリス軍が城壁を破って町に入る。帝国にならなかった都市の連なりは、植民地の境界の中に組み込まれたが、市と染め場はその後も動き続けている。

同じ時代のできごと

ウィクリフの英語聖書AD1382年頃クリコヴォの戦いAD1380年9月8日ワット・タイラーの乱AD1381年6月『カンタベリー物語』AD1387年頃ブルゴーニュ公の宮廷1384年クレヴォの合同AD1385年8月14日五山の制AD1386年威化島回軍AD1388年5月
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1400年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →