ミュラエの海戦
概要
海を知らないローマが、座礁したカルタゴ船を写して100隻を、木を切ってから60日で作ったと伝えられ、「カラス」と呼ぶ橋を敵船に落として陸戦に変えた。最初の海戦で勝った。海の国と陸の国の戦争が、ここから海でも続く。
場所
38.22°N 15.24°E · イタリア・シチリア
本文
紀元前264年、シチリアの港町メッサナをめぐって、ローマとカルタゴは戦争を始めた(第一次ポエニ戦争)。北アフリカのカルタゴは、何百年も地中海を商船と軍船で行き来してきた海の国である。一方のローマは、イタリア半島を陸の戦いでまとめ上げたばかりの国で、ポリュビオスによれば、甲板のある軍艦を一隻も持っていなかった。最初にシチリアへ兵を渡すときも、南イタリアのギリシア系の同盟都市から船を借りている。
陸では、ローマはシチリアの町を次々に取った。しかし、カルタゴの艦隊はイタリアの海岸を荒らし、シチリアの港町に海から兵と食料を送り続けた。海を取らなければ戦争は終わらない。紀元前261年、ローマは艦隊を作ることを決めた。

手本になったのは、海岸に打ち上げられて手に入ったカルタゴの五段櫂船だった。ポリュビオス(ポリュビオス『歴史』)によれば、ローマはこれを写して、五段櫂船100隻と三段櫂船20隻を造った。のちのプリニウスは、木を切り出してから60日で艦隊が海に浮かんだと伝えている。船を造る間に、漕ぎ手の訓練も急いだ。船がまだ無いので、漕ぎ手たちは浜辺に船と同じ並びの台を組んで座り、号令に合わせて櫂を引く動きを陸の上で繰り返したという。
それでも、急ごしらえの船と漕ぎ手で、カルタゴの熟練の船乗りに太刀打ちできるとは思えなかった。当時の海戦の主な戦い方は、船の舳先の衝角で敵船の横腹を突き破ることで、そのためには船を素早く巧みに操る腕がいる。そこでローマは、船の舳先に「コルウス」、カラスと呼ばれる仕掛けを付けた。ポリュビオスの説明によれば、幅およそ1.2メートル、長さおよそ11メートルの板の橋で、柱に吊るして上げ下ろしし、向きも変えられる。先の裏側には鉄の鋭い嘴が付いていた。敵船が近づいたら橋を落とし、嘴を甲板に突き刺して二隻をつなぎ、兵が橋を渡って斬り込む。海の上の戦いを、ローマが得意な陸の戦いに変える工夫だった。

紀元前260年、最初のつまずきがあった。艦隊の指揮を執る執政官グナエウス・コルネリウス・スキピオが、17隻を率いてリパラ島へ向かったところを港で囲まれ、船ごと捕らえられたのである。指揮は、陸の軍を率いていたもう一人の執政官ガイウス・ドゥイリウスに移った。
同じ年、シチリアの北岸のミュラエの沖で、ドゥイリウスの艦隊はカルタゴの艦隊とぶつかった。カルタゴの将はハンニバル・ギスコ、のちのカンナエの英雄とは別人である。船はおよそ130隻。ポリュビオスによれば、カルタゴの兵たちはローマの船の未熟さを侮り、隊列も組まずに我先にと突っ込んできた。そして舳先の見慣れない柱をいぶかしみながら近づいたところで、次々に橋を落とされた。カルタゴの船は引き離すこともできず、甲板に斬り込んできたローマの兵に制圧された。ハンニバルの乗る旗艦、かつてエペイロスの王ピュロスのものだった七段櫂船も捕らえられ、ハンニバルは小舟で逃げた。横や後ろから回り込もうとした船も、橋がどの向きにも落ちるので近づけなかった。カルタゴはポリュビオスによれば50隻を失い、残りは逃げ去った。
海を知らなかった国が、最初の本格的な海戦で、海の国に勝った。ドゥイリウスはローマで初めて海の勝利で凱旋式を挙げた。中央の広場には、捕らえた敵船の衝角で飾った円柱が立てられ、勝利を記した碑文が刻まれた。いま残る碑文は帝政の時代に作り直されたものと考えられているが、ドゥイリウスが海でカルタゴ人を初めて打ち破ったことを伝えている。ドゥイリウスは、夜に宴から帰るとき松明と笛吹きを伴うことを生涯許されたとも伝えられる。
コルウスは、その後もしばらくローマの勝利を支えた。紀元前256年のエクノモス岬の沖の大海戦でもローマは勝ち、執政官レグルスがアフリカへ渡る(レグルスのアフリカ遠征)。しかし、重い橋を舳先に積んだ船は、荒れた海に弱かった。紀元前255年、アフリカから帰る艦隊はシチリアの南の沖で嵐に遭い、ポリュビオスによれば364隻のうち残ったのは80隻ほどだった。橋の重さで船が均衡を失いやすかったからではないかと、いまの研究者は考えている。その後、コルウスは史料から姿を消す。
ローマは、そのたびに船を造り直した。漕ぎ手も操船の腕も、しだいにカルタゴに追いついていった。紀元前241年、国庫が空になると、富裕な市民たちが自分の金を出し合って200隻の五段櫂船を造り、勝てば返すという約束で国に差し出した。この艦隊がアエガテス諸島の海戦でカルタゴを破り、23年に及んだ戦争は終わる。陸の国が、海の国と海で戦うことを選んだ最初の一歩が、ミュラエだった。