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Event / できごと

レグルスのアフリカ遠征

Regulus invades Africa
BC256年
重要度 3

概要

ローマがアフリカに上陸し、カルタゴの手前まで来て、過酷な講和を突きつけた。カルタゴはスパルタの傭兵隊長を雇って象で反撃し、レグルスを捕えた。捕虜交換の使者としてローマに送られ、講和に反対して自分から戻り、殺されたと伝わる。

場所

チュニス
36.81°N 10.18°E · チュニジア

関わった人(1)

レグルス?–BC250年頃 · 執政官

本文

BC256年、 エクノモス岬。 ローマ330隻、 カルタゴ350隻。 古代最大の海戦。 ローマが勝った。 アフリカへ。 執政官マルクス・アティリウス・レグルスと、 ルキウス・マンリウス・ウルソ。 クルペアに上陸。 1万5000の兵。 マンリウスは冬に帰った。 レグルスが残った。 アディスで勝った。 チュニス。 カルタゴから15キロ。 カルタゴは講和を求めた。 レグルスの条件。 シチリアとサルデーニャの放棄、 賠償金、 ローマの許可なしに戦争しない、 艦隊は1隻。 カルタゴは、 戦うことにした。

クサンティッポス。 スパルタ人。 傭兵の隊長。 「カルタゴの将軍は、 象と騎兵を、 使い方を知らない」。 「平地で戦え」。 BC255年春、 バグラダス川。 象100頭。 ローマの歩兵は、 象に踏まれ、 騎兵に囲まれた。 1万5000のうち、 2000が逃げた。 レグルスは捕虜。 クサンティッポスは、 金をもらって、 去った。 帰りの船で殺された、 と伝える。 カルタゴが、 名声を嫌って。

レグルスの話。 BC250年、 カルタゴは講和と捕虜交換の使者に、 レグルスを送った。 「帰ってくる」と誓わせて。 ローマ。 元老院。 レグルスは、 「講和するな、 捕虜を交換するな。 私は老人で、 役に立たない」。 そして、 カルタゴへ戻った。 妻と子が止めた。 戻った。 瞼を切られ、 太陽に向けられ、 釘の樽に入れられて、 殺された。 ホラティウス。 キケロ。 「義務の手本」。 ポリュビオスは、 その話を書いていない。 ディオドロスは、 レグルスは獄で病死し、 ローマにいたカルタゴの捕虜を、 レグルスの妻が、 復讐で拷問した、 と書く。 ローマ人は、 前の話を信じた。

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