概要
斉の稷下の学宮で、荀子は3度「祭酒」(学長)になった。「人の性は悪、その善なるものは偽(人為)である」。孟子の性善説に反対した。礼は聖人が作った制度で、学んで身につける。天は意志を持たず、人が治める。「天を制して用いる」。弟子に韓非と李斯。儒家から法家が出た。楚の蘭陵で死んだ。『荀子』32篇。漢の儒教は荀子の儒教で、宋の儒教は孟子を選んで、荀子を外した。
場所
36.83°N 118.30°E · 中国・山東省淄博市(斉の都)
関わった人(2)
荀子BC313年頃–BC238年頃 · 祭酒孟子BC372年頃–BC289年頃 · 性善説に反対本文
稷下の学宮。斉の都、臨淄の西の門(稷門)の外。BC4世紀の半ば、威王か宣王が作った。学者に家と「上大夫」の俸禄を与え、政治を論じさせて、官職は与えなかった。「治めずして議論す」。最盛期に「数百千人」。孟子、鄒衍(陰陽五行)、慎到、田駢、淳于髡、宋鈃、尹文。中国で最初の「アカデミー」。
荀子は趙の人で、50歳で来た(『史記』。「15歳」の誤写という説が有力)。斉の襄王の頃(BC283〜265年)、稷下で「最も老いた師(最為老師)」と呼ばれ、3度、祭酒(酒を祭壇に注ぐ役。学者の長)になった。
『荀子』32篇。
性悪篇。「人の性は悪なり。その善なる者は偽なり」。偽は「人の為すこと」。人は生まれつき利を好み、耳目の欲があり、放っておけば争う。だから聖人が礼と義を作った。人は礼を学んで善になる。「木は縄に従えば直く、金は砥に就けば利し」。孟子は「性は善で、四端(惻隠、羞悪、辞譲、是非の心)が生まれつきある」と言った。荀子は「それなら聖人も礼も要らないことになる」と答えた。
天論篇。「天行に常あり。堯のために存せず、桀のために亡びず」。天は意志を持たず、人の善悪に応じない。雨乞いをして雨が降るのは、しなくても降るのと同じ。日食も星が落ちるのも、怪しむに足りない。「天を大なりとしてこれを思うは、物を畜えてこれを制するに孰若ぞ」——天を崇めて考えるより、物を蓄えて制するほうがよい。「天命を制して用いる」。
勧学篇。「学は以て已むべからず。青はこれを藍より取りて藍より青く、氷は水これを為して水より寒し」。「吾嘗て終日思えども、須臾の学ぶ所に如かず」。
礼論篇。人には欲があり、欲に限りはなく、物には限りがある。争いを防ぐために、先王が礼を作って「分(身分と分け前)」を定めた。
正名篇。名は約束(約定俗成)で決まり、王が定める。名が乱れれば政治が乱れる。
弟子。韓非(韓の公子。『韓非子』。法・術・勢。秦で同門の李斯に讒言されて獄で死んだ)。李斯(楚の人。秦の丞相。郡県制と焚書を進言し、趙高に腰斬にされた)。荀子の「性は悪」から、礼でなく法へ行った。
評価。漢の儒教は荀子の系統(経学と礼学)。唐の韓愈が「大醇にして小疵」、宋の程頤と朱熹が「性悪の一句で根本を失った」。四書に『孟子』が入り、『荀子』は入らなかった。清の考証学が読み直し、20世紀の中国が「唯物論の先駆」として教科書に載せた。
楚の春申君が蘭陵(山東の南)の令にした。春申君が殺されて(BC238年)、免職。蘭陵で死んだ。墓が残っている。