概要
戦争が終わり、戦地や外地から何百万人もの男たちが帰ってくると、日本では結婚と出産が一気に増えた。1947年から1949年の3年間、毎年260万人を超える子どもが生まれ、1949年には270万人近くに達した。いまの年間の出生数の3倍以上である。この世代は、のちに作家の堺屋太一の小説の題から「団塊の世代」と呼ばれた。彼らが育つにつれて、学校は教室が足りずに一クラス50人を超え、受験の競争は激しくなり、就職、住宅、消費の市場が次々に膨らんだ。アメリカやヨーロッパでも、同じころからベビーブームが起きている。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
戦争の間、日本では多くの若い男たちが戦地に送られ、結婚も出産も先延ばしにされた。1945年の敗戦のあと、戦地や旧植民地から、軍人と民間人を合わせて六百万人を超える人々が引き揚げてきた。食べ物も住まいも足りない時代だったが、結婚は一気に増え、その翌年から出生数が跳ね上がった。
1947年に生まれた子どもは、およそ268万人。1948年も268万人、1949年には270万人近くに達した。この3年間の合計は800万人を超える。2020年代の日本の年間の出生数は80万人を切っているから、その3倍以上の子どもが毎年生まれていたことになる。1950年代に入ると、出生数は急に減った。1948年の優生保護法で人工妊娠中絶の条件がゆるめられ、家族を小さく抑えようとする夫婦が増えたためである。
この世代は、作家で官僚だった堺屋太一が1976年に出した小説『団塊の世代』の題から、そう呼ばれるようになった。人口の年齢の構成を描いたグラフの上で、この世代だけが塊のように飛び出して見える。
団塊の世代が成長するにつれて、社会はそのたびに大きく揺れた。小学校では教室が足りず、一つの教室に50人を超える子どもが詰め込まれ、午前と午後に分ける二部授業も行われた。高校と大学の入試の競争は激しくなり、1960年代の末には、大学の学費や運営をめぐって学生運動が燃え上がった。彼らが社会に出ると、高度経済成長を支える働き手となり、結婚すると団地やマイホームの需要が膨らんだ(公団住宅と2DK)。
団塊の世代が親になった1971年から1974年にかけて、毎年200万人を超える子どもが生まれ、第二次ベビーブームと呼ばれた。だが、その子どもたちの世代では、第三次のベビーブームは起きなかった。2020年代、団塊の世代がすべて75歳以上になり、医療と介護をどう支えるかが大きな課題になっている。